父が死にました。72歳でした。
しかし、本人が言うのではなく、残された遺族であるぼくが言うのも変かもしれませんが、「完璧な死」、「パーフェクトな死に様」であったと思います。
ぼくにとってラッキーだったのは、亡くなる前夜から病室に泊り込んで父の世話をしながら、そのまま死ぬまでそばで看取ることができたことだと思います。
亡くなる前夜の段階では、喉の周囲にもガンがどんどん増殖して、声帯を殺してしまったようで、声が出なくなっていましたが、それでも、息だけで何とか言っていることは理解できましたし、コミュニケーションが取れました。
しかし、喉にできたガンのせいで、血痰がたくさん出ました。そこで、夜通し血痰を吐き出させ、それをふき取る作業に追われました。
朝がきて、血中酸素濃度がぐっと下がったので、鼻に入れた酸素のパイプから、酸素マスクに取り替えてもらった。その時点で、看護師さんから「もう自分で努力しないと呼吸できない状態になりました。ご家族に連絡を」と言われました。そこで、弟に連絡しました。
弟は会社に行きかけたその足で、病院に向かいましたが、朝の渋滞にまきこまれ、到着が遅くなりました。
「親父、あいつが来るまで、待っててくれよ!」と声をかけましたが、父は筆談で「早く死のう」と書きました。本当に苦しかったのだと思います。しかし、ぼくは「あかん、もう少し待ってくれ!」と父に頼みました。
長距離ランナーのように、必死に呼吸をキープしつづける父。弟はまだ到着しない。「遅い」、「何してるんや」と父は息だけで叫ぶ。「あと5分」と父は言います。後5分なら、呼吸する努力ができる。しかし、それ以上は無理だというのです。やがて「あと2分」と言います。「頼むから、待ってくれ!」
そして、やっと弟が病室に駆け込んできて、兄弟がそろいました。父はほっとしたように笑いました。それからは、兄弟二人で手を握ったり、体をさすったり、頭をなでたり、仲のよい時間を過ごすことができました。それから、だんだんと父の呼吸は力のないものになってゆきました。もう努力して呼吸しなくてもよい、と本人も思ったのでしょう、呼吸はどんどん弱くなっていきました。
やがて、病床洗礼を授けてくださった牧師からも携帯で連絡が入り、訪問してくださるとのこと。
牧師が到着すると、ぼくと牧師の二人で、父の魂が和らいで、赦されて神さまのもとに受け入れられるように、と祈りました。そうすると、見る見るうちに血中酸素濃度が下がってゆき、心拍の不整脈もひどくなりました。
もはや呼吸はほとんど停止していました。
主治医は「もし声が聞こえていたとしても、遠くでぼんやりと聞こえるような程度だと思います」と言ったので、ぼくも牧師も大きな声で呼びかけました。
やがて、心拍数が落ちてゆき、次第に間隔があくようになり、そして、十秒以上もの感覚を置いて、最後の鼓動が鳴り、心臓は停止しました。
意思の疎通ができていた段階から、最後の瞬間まで、看取ることができたのは、幸いなことだったと思います。
罪を多く犯した父でしたが、死に際は実に平安に満ちたものでした。
眠るように父は死んでいきました。
ぼくは、生きていた父の体が、亡骸に変わってゆく過程を、目の当たりにしたのですが、にもかかわらず、亡骸が自分の父であることを認めたくない気持ちになっていました。
心停止した瞬間、父の魂と心は、どこか別のところに行ったような気がしました。なぜなんでしょうか。理由があるわけではありません。自分でも意識しないうちにそういう死生観が身についているのでしょう。しかし、それが何に起源があるのかは、自分でもわかりません。
Recent Comments