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罪の自覚

『マタイ受難曲』を聴きながら、そして聴いたあとも考え続けていたのだが、やっぱりよくわからない。
クリスチャンであるなしに関わらず、人の心を捉え続けるバッハの音楽、特に『マタイ受難曲』の魅力というのは何なのだろうか。
ある研究家は、「愛ゆえに主イエスは十字架を」というアリアがこの曲の焦点なのだという。「私は罪人であって赦しを必要としているということ。それはキリスト者であろうとなかろうと、すべての人の共通の問題なのではないでしょうか」と言う。
この感情は、たしかにバッハの作品を聴くたびに、ぼくの心のなかにも沸き起こる感情だ。しかしそれが、自分がクリスチャンだからそうなのか、それともクリスチャンであろうとなかろうと沸き起こるものなのか、もう20年以上もクリスチャンをやってしまっていると、正直に言ってわからないのだ。
しかし、確かに、『マタイ受難曲』は多くの人に受け入れられている。それは、クリスチャンであろうとなかろうと、「私は罪人であって赦しを必要としているのだ」という自覚を呼び覚まされるからなのだろうか。それがわからない。もっと他に理由があるのかも知れないが、ぼくにはわからない。
罪の自覚というものが、広く日本人に呼び覚まされるものなのか、ぼくには疑問だ。

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