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ヨハネ受難曲

昨夜、「ミサ曲 ロ短調」を聴いて、今日は「ヨハネ受難曲」を聴いた。受難曲は「マタイ」のほうが有名だけれども、1曲目の出だしのインパクトでは、やはりヨハネのほうに軍配を上げたい。
弦楽が積み上げてきた音の平原の上に、突然地から天に突き上げるようにとどろく“Herr! (主よ!)”という叫びが脳天を突き抜ける。
“Herr...! Herr...! Herr...! Unser Herrscher!(主よ!主よ!主よ!われらの統治者よ!)”と神に呼びかける声が、切なく、重い。
普段リベラルで宗教的な思いについてはなるべくドライで軽くいようと思う自分が、実は心底から神の愛に満たされたいという飢えを抱いていたことを思い出させてくれるのが、バッハの音楽だ。
宗教的な飢えを抱かないでバッハの音楽をただ音楽として愛好している人がいるというのは、ぼくには信じがたいことだ。ぼくは音楽の専門家ではないが、バッハの音楽によってたしかに信仰心が呼び覚まされる。そして、信仰の覚醒と同時に、芸術としても感動している。これは、バッハの民衆に対して望んだことでもないのかと思う。
受難曲の中には、テノール(福音史家)とバス(イエスなど)によって語られる物語の歌の間に、要所要所にコラール(賛美歌)が配置されている。バッハが教会で演奏した当時の人びとは、このコラールのときには、いっしょに声を合わせて歌える者は歌い、アレンジが凝ったものなので歌えなかった人も、心の中で歌に参加していたはずなのだ。
音楽で語られる壮大な聖書の物語の中に、参列者も参加してゆく、そうやって礼拝が作られてゆく。バッハと同時代の礼拝参列者たちがうらやましいと思った。

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Comments

>出だしのインパクト
わたしはヨハネはセレクションでしか聞いてないのですけど、マタイに関して言えば、そうですね、ホントに少しずつ積み上げていく感じがありますね。出だしのインパクトはない。

>参列者も参加してゆく
そうか、そういう礼拝(受難曲を使った礼拝)が再現されると面白いかも知れませんね。

Posted by: トマス | February 18, 2007 at 00:12

>そういう礼拝(受難曲を使った礼拝)が再現されると面白いかも

そうなんですけど、長いですよね、現代人には(笑)。
ですから、1700年代の人たちにとって、礼拝の時間の長さってのは、あれが普通だったのか。現代人との時間の感覚、生活の時間や礼拝に費やす時間などの感覚って、どれほど違っていたのかなと、そんなことを考えたりもしますね。

Posted by: 牧師 | February 18, 2007 at 00:31

そういえば、長いですね。私の持っているマタイでも2時間を超えますものね。あれで説教の時間を入れたら3時間近く。
となると、演奏会の中に礼拝が入る?
いずれにしても、会衆が聞き手でもあり、参加者でもあるようなスタイル、何かないですかねぇ?

Posted by: トマス | February 18, 2007 at 22:34

今の礼拝でも、会衆みんなで賛美歌を歌っているわけですし、信徒が祈祷をささげる場面もあるわけですから、会衆が参加しているといえば参加しているわけですよね。
トマスさんがおっしゃっているのは、もっと違う形で、ということなのでしょうか?

Posted by: 牧師 | February 18, 2007 at 23:06

こんばんは。
先生は「ヨハネ派」なんですね。
私は「マタイ派」です。前に札幌で「マタイ」を生で聴いたときはショーゲキ的でガクガク震えてしまいました。メンデルスゾーン、万歳です。でも、私はカール・リヒター盤にこだわってます。この盤には色々思い入れがあって・・・なんて語るとヲタクっぽくなるので(実際ヲタクですが)ここまでにします。

音楽は色々な事を考えさせる力があって、すばらしい、神様からの最高の贈り物だと思います。
でも、最近体調を崩して入院してしまって、教会にしばらく行ってないです~。
来週は礼拝に参加して、賛美歌を歌って元気をもらってきます。

Posted by: しま猫 | February 20, 2007 at 00:42

いやいや、「ヨハネ派」というほど聴きこんでいるわけではありませんよ。
ただ、1曲目の出だしの部分は、「ヨハネ」の「Herr...!」の悲痛な呼び声のほうが印象的だな、と思ったというだけのことです。「マタイ」のほうが積み上げていく重厚さがありますよね。

ぼくもカール・リヒター盤が好きです。またヲタ話聞かせてくださいね。
「ロ短調」は、たまたまうちにカラヤン指揮のものもあるんですが、全然違いますね。圧倒的にリヒターのほうがいいです。
どうしても出だしにこだわってしまうんですが、最初の数小節に込められた「主よ!(キリエ!)」のリヒターの気合を感じてしまうと、カラヤンにはやっぱ信仰ないんかな、と思ったりしてしまうんですよね。まぁ信仰のあるなしで裁くのも、ぼくらしくないかなとは思うんですが。

こんど2月25日(日)大阪のフェスティバル・ホールでドレスデン・フィルとドレスデン聖十字架合唱団の「マタイ」が上演されるんですよ。へっへっへ、行ってきまーす。

Posted by: 牧師 | February 20, 2007 at 22:23

カラヤンは「カッコいいんだけど、やっぱりカラヤンなんだよな」「あえて言うなら最高のエンジンを搭載したレーシングカーの様に颯爽と走り抜ける。だけど軽すぎて、重みが無い」
そんな印象です。
宗教曲だけでなく、ベートーベンを聴いても、カラヤンは「目で楽しむのであって(ルックスいいから・・・)、耳で楽しむものじゃない」と思ってしまいます。

「マタイ」演るんですか~!う、羨ましいです~
かばんの中に私を詰めて連れて行ってほしいです(笑)

私が聴いた「マタイ」は聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団でした。カウンターテナーが米良美一さんということで張り切って行ったら、喉のご病気で代打の方が歌いました(T▽T;)

気をつけて行って来て下さいね。
感想を激しくお待ちしております。

Posted by: しま猫 | February 21, 2007 at 23:58

へへへ、いいでしょう、「マタイ」。格安でチケットが入手できたんですよ。また感想はここに書きますね。

このスレで「宗教的な飢えなしにバッハを愛好しているなんて信じられない」と書きましたが、川端純四郎さんの著書『J.S.バッハ 時代を超えたカントール』によれば、信仰があるからバッハが理解できるとか、信仰がないから理解できないということはない、誰もが一人の人間としてバッハから問われるのだとおっしゃっています。
それはそれでなるほどとも思うのですが、なかなか自分のなかですっきりと納得したわけではありません。でもこの本はいい本です。三十番地のサイトのほうで「図書室」で推薦しておきました。

Posted by: 牧師 | February 22, 2007 at 21:28

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