信仰告白
連休を利用して、「日本基督教団史資料集」を拾い読みし、特に信仰告白の制定に向かっていった1950年代の日本基督教団の状況を勉強してみました。
恩師の言っていたことの受け売りになりますが、1941年の最初の教団合同は国家権力によるもので、ある意味仕方がなかったものといえるかもしれないですが、戦後、離脱せずに教団に留まった教会が改めて一致のために制定した信仰告白には問題が多いように感じました。
戦後の教団では、①信仰告白は教会存立の基礎であり、信仰告白を持たない教会は教会ではないとする立場、②信仰告白の主体は各個教会であって、全体教会の信仰告白はその最大公約数に過ぎず、法的拘束力は持たないとする立場、③成文の信仰告白を持たない立場、などなどが混在している状態で、とても一致した信仰告白など制定できるような状態ではないという認識が最初にはあったようです。
ところが、1950年に教団の機構改革案が可決したときに、旧日本基督教会の人びとから強い不満が上がり、教団離脱が相次いだのですね。その不満というのは、旧教派の会派を認められなかったということと、教団として信仰告白が制定されていないということだったようです。この総会では、使徒信条を置くことも決議されたのですが、旧日基派の人たちにしてみれば、使徒信条だけでは教会の信仰告白としては十分ではないということなのです。
そこで、これに対処する形で、信条委員会が組織され、1952年の総会で信仰告白文案が提示され、1954年の総会で可決したというわけです。
つまり、もともと会派間の問題があって、信仰告白については、そう簡単には統一することはできないという認識であったのに、多数派を占めていた旧日基の人びとの離脱を食い止めて、教団を維持するために、急いで信仰告白を制定していった、という印象を受けたのです。
この問題を少しでも真摯に扱おうとする感性があるなら、「信仰告白に違反している牧師を説教壇に立たせるな」などという言い草が、どれだけ暴虐に満ちたものであるか、自明であろうと思います。

Comments
だいたい、「告白」なる個人的なものを多数で行うこと自体に違和感があります。
いろいろな「信じる気持ち」があっていいと思うからです。
教会で出会う子どもたちが将来教会に繋がってほしいな…と思う反面、こんなばかげたことに拘束されてほしくない…と複雑な思いを持ちます。
教会にやってきたひとりひとりが、イエスに出会って本当に解放され、救われて喜びを持って生きていくことを願うことと、今教団、もしくは各教会で言われている「伝道」とは何かが違う!と思う一信徒です。
Posted by: mm | May 03, 2007 at 23:41