リーアム・ニースンという俳優が好きだ。『スター・ウォーズ・エピソード1』や『ギャング・オブ・ニューヨーク』などで、殺されるシーン。『シンドラーのリスト』、『ラブ・アクチュアリー』や、この『愛についてのキンゼイ・レポート』などで泣くシーンなど、人間の弱さ、もろさ、そしてそこを経験しきった上に現れてくる強さを描かせたら、彼の右に出る者はいないのではないかというのは大げさだろうか。
それはともかくこの映画、原題名はシンプルに『KINSEY』、これでアメリカでは通じるのだろう。日本では「キンゼイ・レポート」というほうが通りがいいのだが、それにしても若い人には何のことやらわからないのだろうと思う。
日本語題名では「愛についての……」となっているのだが、実はアルフレッド・キンゼイは最初から愛について探求していたわけではない。生物学者として、人びとの悩みに答えるために、人間の性行動をただひたすらに事例研究し、一般論を導こうとしていただけだ。「愛」については、ラストシーンを観た観客が自分で考えるように作られている。なんともいえない余韻のある、うまく作られた映画だと思う。
印象に残ったのは、「人間はすべて違う」というメッセージがこの映画にこめられていることだ。彼が最初に研究したタマバチの何が素晴らしいか。それはどれ一つとして同じものはないということだった。それと同じように、人間の性行動も一人ひとりみな違う。そこが素晴らしい。
そして、一人ひとりみな違う性だが、似ているところもある。人に話せば異常だといわれるのではないかと恐れて普通は口に出さないことを、キンゼイは聞き取り調査で公表してゆく。そのことによって人は「自分だけではないのだ」と知り、救われるのだ。
人びとの性行動の実態は、マスターベーションあり、異性愛あり、同性愛あり、婚前交渉あり、婚外交渉あり、夫婦交換あり、さまざまに複雑で、入り組んでいた。建前としての倫理道徳とは裏腹に、人びとの性行動は実にバラエティに富んでいた。
しかし、旧来のキリスト教信仰にしがみつく陣営の人びとは、キンゼイを不道徳で破廉恥な学者として攻撃する。「どうあるべきか」ではなく「実際にどうなのか」を情報収集し、発表しただけのキンゼイは大いに傷つき悩むことになる。彼は、事実を探求し理解したいと思うあまり、率直で正直にその事実を公表した結果、まるでその公表内容が彼自身の犯罪であるかのように傷つけられてしまうのだ。
また、彼の支持者だと名乗る人びとにも、彼を単なる野放図なセックスを正当化してくれる教祖のように誤解する者も現れてきて、それが彼の悩みを深めてしまう。
自分の著作が人びとに攻撃され、スキャンダル呼ばわりされているさなかに、「あなたの本に救われた」と告白する人が現れるくだりは、他人事とは思えず、涙が出そうになった。
「救われた」と告白する人が、性的にマイノリティを呼ばれる立場の人であることにも、キンゼイの存在意義を主張するこの映画の姿勢がよく表れている気がした。
ロードショーで大ヒットするタイプの映画ではないが、いい映画だったと思う。
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