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卒業生

この3月に卒業して、国際基督教大学(ICU)に入学して3ヶ月たつ教え子が、突然職場を訪ねてきてくれた。とてもうれしかった。話したいことがいっぱいある感じだったけど、とにかくICUの教育が彼女には合っているようだった。
少人数の学生を、手厚くクリスチャンの教員たちが包んで、きめ細かくていねいに指導してゆく。クリスチャン・ウィークという行事には、教員の家に学生が招待されて、パーティをしたりしている。
少数精鋭の学生に目が行き届く環境で、教育が行われているという面は、以前に見学したアーモスト・カレッジと似たところがあるな、と感じた。どんなに有名な大学でも、マンモス教育で教授が学生ひとりひとりの顔も名前もつながらない、というようなところにはない、いい環境があるようだ。
若く、エネルギーに満ちていて、今やっていることも手一杯だけど、まだまだやりたいことがいっぱいで。そんな卒業生がまぶしく見えた。
とてもうれしかった。

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千里聖愛教会に行ってきました。

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ここ最近、行ったことのない教会を訪問することがなかったのですが、先日の日曜日は、大阪府にある日本キリスト教団千里聖愛教会に行ってきました。
友人の牧師が新しくこの教会に赴任することになり(というか、すでに4月から就任しており)、この日は就任式に参加しに行ったのでした。
明るい、さわやかな雰囲気の礼拝堂でした。正面の十字架の上から、天窓の日光がさしこんでくるあたりが美しかったです。
この教会は1年間無牧を経験し、待ちに待った新任牧師ということで、本人に加えられるプレッシャーは相当強いものがあると思うけど、きっと君なら大丈夫。がんばってね。がんばりすぎないでね。
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ペトロの鍵

今日、ボランティアに行った帰りに、牧師どうしで話題になったのが、「ペトロの鍵は開けるためにあるのか、閉めるためにあるのか」ということだった。
マタイによる福音書16章19節に、イエスがペトロに「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」と言ったことが書いてるのだが、これは閉じた扉を開けるための鍵なんだろうか、それとも閉じるための鍵なんだろうか。
いろいろ話していて、どうもドイツ語だけは「閉じる」という言葉が「鍵」の語源になっていて、それ以外の言語では「開ける」発想なんだそうだ。しかし、そもそも鍵というものを発明したのはエジプト人で、ピラミッドなどを封印するために発明したんだから、やはり始まりは「閉じる」ためのもんだったんだろうという話になった。博識な人はいるもんだなぁと感心した。
ペトロの鍵……。開けるためにあるのだと考えると、ペトロによってすべての人に天は開かれているという発想になる。閉めるためにあるのだと考えると、天の国に入るのは難しいのだという発想になる。「狭き門より入れ」という聖句にも通じる。さて、天の国に入るのは困難なことなのだろうか?

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『愛についてのキンゼイ・レポート』

リーアム・ニースンという俳優が好きだ。『スター・ウォーズ・エピソード1』や『ギャング・オブ・ニューヨーク』などで、殺されるシーン。『シンドラーのリスト』、『ラブ・アクチュアリー』や、この『愛についてのキンゼイ・レポート』などで泣くシーンなど、人間の弱さ、もろさ、そしてそこを経験しきった上に現れてくる強さを描かせたら、彼の右に出る者はいないのではないかというのは大げさだろうか。

それはともかくこの映画、原題名はシンプルに『KINSEY』、これでアメリカでは通じるのだろう。日本では「キンゼイ・レポート」というほうが通りがいいのだが、それにしても若い人には何のことやらわからないのだろうと思う。
日本語題名では「愛についての……」となっているのだが、実はアルフレッド・キンゼイは最初から愛について探求していたわけではない。生物学者として、人びとの悩みに答えるために、人間の性行動をただひたすらに事例研究し、一般論を導こうとしていただけだ。「愛」については、ラストシーンを観た観客が自分で考えるように作られている。なんともいえない余韻のある、うまく作られた映画だと思う。

印象に残ったのは、「人間はすべて違う」というメッセージがこの映画にこめられていることだ。彼が最初に研究したタマバチの何が素晴らしいか。それはどれ一つとして同じものはないということだった。それと同じように、人間の性行動も一人ひとりみな違う。そこが素晴らしい。
そして、一人ひとりみな違う性だが、似ているところもある。人に話せば異常だといわれるのではないかと恐れて普通は口に出さないことを、キンゼイは聞き取り調査で公表してゆく。そのことによって人は「自分だけではないのだ」と知り、救われるのだ。
人びとの性行動の実態は、マスターベーションあり、異性愛あり、同性愛あり、婚前交渉あり、婚外交渉あり、夫婦交換あり、さまざまに複雑で、入り組んでいた。建前としての倫理道徳とは裏腹に、人びとの性行動は実にバラエティに富んでいた。
しかし、旧来のキリスト教信仰にしがみつく陣営の人びとは、キンゼイを不道徳で破廉恥な学者として攻撃する。「どうあるべきか」ではなく「実際にどうなのか」を情報収集し、発表しただけのキンゼイは大いに傷つき悩むことになる。彼は、事実を探求し理解したいと思うあまり、率直で正直にその事実を公表した結果、まるでその公表内容が彼自身の犯罪であるかのように傷つけられてしまうのだ。
また、彼の支持者だと名乗る人びとにも、彼を単なる野放図なセックスを正当化してくれる教祖のように誤解する者も現れてきて、それが彼の悩みを深めてしまう。

自分の著作が人びとに攻撃され、スキャンダル呼ばわりされているさなかに、「あなたの本に救われた」と告白する人が現れるくだりは、他人事とは思えず、涙が出そうになった。
「救われた」と告白する人が、性的にマイノリティを呼ばれる立場の人であることにも、キンゼイの存在意義を主張するこの映画の姿勢がよく表れている気がした。
ロードショーで大ヒットするタイプの映画ではないが、いい映画だったと思う。

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犬のえさでも

ルカによる福音書15章に「放蕩息子」のたとえが記されている。そこに、放蕩息子が「豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが」というくだりがある。
本当に空腹になったとき、飼い犬が食べているドッグ・フードの匂いでも、うまそうだと感じるなぁと思ったとき、この聖書の箇所を思い出した。20070609mayfood

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ハリダ from ヴェトナム

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ふと、ヴェトナム・ビールを売っているのを町で見つけて、衝動的に買ってしまいますた。お金はないはずなのだが、一本205円だったので、2本だけ。ヴェトナムはハノイのビール、「ハリダ」という銘柄です。お店のポスターには「ヴェトナム・ビールのプライド」と書いてあります。
正直アジアのビールにうまいもんはないだろうと思ってあまり期待していなかったので、いい意味で予想をはずされました。なかなかいけますね。
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原材料は麦芽とホップと米。やはりアジアのビールが米が入るというのが定番なのでしょうか。日本でよく売っているふつうの米とコーン・スターチ入りのビールとよく味が似ていました。端麗生か一番搾りかというところでしょうか。さっぱりしていて飲みやすい。でもちょっと個性には欠けるかな、という感じです。同じアジアン・ビールでも、チンタオほどの個性はないですね。
でも、これがベトナムに行って、現地の料理をパクつきながらだったら、きっとおいしいんでしょうね。

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日本人の罪意識

勤め先の学校で、「お祈り」の仕方を指導することがある。「お祈りのパターン」というプリントを配っているのだが、そこに、お祈りの3要素として「悔い改め」「感謝」「願い」をあげており、それぞれの具体的な内容については生徒ひとりひとりが自分で考えてみよう、という風にしている。
ここで多くの生徒がつまずくのが、「悔い改め」だ。何を悔いたらいいのか、何を反省したらいいのか、わからないというのである。自分は何も悪いことをしていないのに、というわけだ。これに比べて、「感謝すべきこと」、「お願いしたいこと」というのは、すぐに思いつく人が多い。
祈りの3要素というのはうちの学校オリジナルなので、神学的に賛否はあるだろうが、それはともかくとして、子供たちに「悔い改め」という概念を根付かせることは困難だと思う。ルース・ベネディクトの有名な『菊と刀』では、日本人は罪の文化ではなく、恥の文化に生きているといわれているそうだが、まさに日本人の子どもたちに「神に対する罪」という概念を伝えるのは難しいと思う。
もちろん、罪意識を常に持つことが人間としてよいことかというと、そうとも言い切れないとは思うけれども。
欧米のキリスト教の歴史のなかで伝えられてきた「神に対する罪意識」の背後には、父権制の暴力が通奏低音のように流れており、その社会に生まれた人はみな幼い頃から体罰や心理的虐待を受けて、潜在的に罪意識を植え付けられるようにになったのではあるまいか。
そういう観点から見れば、過剰な、あるいは不当な罪意識を自分のなかに持っていない子どもというのは、実は意外と健全なのかもしれない、と思ったりもする。

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