日本人の罪意識
勤め先の学校で、「お祈り」の仕方を指導することがある。「お祈りのパターン」というプリントを配っているのだが、そこに、お祈りの3要素として「悔い改め」「感謝」「願い」をあげており、それぞれの具体的な内容については生徒ひとりひとりが自分で考えてみよう、という風にしている。
ここで多くの生徒がつまずくのが、「悔い改め」だ。何を悔いたらいいのか、何を反省したらいいのか、わからないというのである。自分は何も悪いことをしていないのに、というわけだ。これに比べて、「感謝すべきこと」、「お願いしたいこと」というのは、すぐに思いつく人が多い。
祈りの3要素というのはうちの学校オリジナルなので、神学的に賛否はあるだろうが、それはともかくとして、子供たちに「悔い改め」という概念を根付かせることは困難だと思う。ルース・ベネディクトの有名な『菊と刀』では、日本人は罪の文化ではなく、恥の文化に生きているといわれているそうだが、まさに日本人の子どもたちに「神に対する罪」という概念を伝えるのは難しいと思う。
もちろん、罪意識を常に持つことが人間としてよいことかというと、そうとも言い切れないとは思うけれども。
欧米のキリスト教の歴史のなかで伝えられてきた「神に対する罪意識」の背後には、父権制の暴力が通奏低音のように流れており、その社会に生まれた人はみな幼い頃から体罰や心理的虐待を受けて、潜在的に罪意識を植え付けられるようにになったのではあるまいか。
そういう観点から見れば、過剰な、あるいは不当な罪意識を自分のなかに持っていない子どもというのは、実は意外と健全なのかもしれない、と思ったりもする。

Comments
初コメントだけど、いつも拝見して、考えさせられたり、教えられたりしています。
「神に対する罪意識」と父権制の暴力との関係についてのくだり、フェミニズムを思わせる理論なんだけど(定説?)、ホントにそうなのかなぁ、って気もします。「父権制の暴力」って括り方がそもそも乱暴な気がするし、「その社会に生まれた人は『みな』(ってのは筆がすべったのかもしれないけど)幼い頃から体罰や心理的虐待を受けて、潜在的に罪意識を」というのも、罪意識がホントにそういう形で植え付けられるのか、他の要因を考えないで断定していいのか、と思うんだけど。じゃぁ、欧米以外のキリスト教ではどうなんだろうか、という疑問もさらに湧いてくるし。このあたり、少していねいに考えてみたいですね。
でも、そう言われてみれば、かつて幼い息子に手をあげた(暴力ですね)ことがあったなぁ、と反省しました。息子が罪意識を持っているかどうかは聞いたことないけど。
Posted by: 旧友in広島 | June 02, 2007 at 11:08
「みな」は失言です。筆が(キーが)すべりました。そうですね。もう少していねいに考えたほうがいいですね。
なんで「罪」という概念がユダヤ・キリスト教において受け継がれているのか、日本人との違いを感じるたびに、疑問に思うんです。
古代イスラエル史などで、バビロン捕囚にからめて、民族が神に対して犯した背きとそれに対する罰、という風に説明を聞いたりするんですが、それがなぜヨーロッパのキリスト教社会に受け継がれていくのか、それがやはり日本人である自分にも実感がないんですよね。
ところで「筆のすべり」ネタですが、某教団の総会議長も、最近出たある本を非難・抗議した文書について「筆がすべった」と述懐しているそうです。
Posted by: 牧師 | June 02, 2007 at 12:47
「筆がすべる」ってのは、「書いてはいけないことや書かなくてもよいことを、うっかり書いてしまう」(大辞林)ことだけど、文書全体で「すべる」場合ってあるんですかね。始めから終わりまですべり通しなんて、ありえない。
それにこの場合、すべったのかどうかってことより、総会議長が書いたってことこそが問題でしょう? どう考えても責任は逃れられないはず。言論弾圧でしょーが。
Posted by: 旧友in広島 | June 02, 2007 at 14:00
はい。言論弾圧です。
総会議長が三役と5人の幹事と協議した結果、判断して出す文書だということが明記され、総会議長の角印まで押して出されています。
総会議長が教団総会の決議を得ないで総会議長の印をついて言論弾圧をやるという、致命的な愚行をやってくれたのです。
Posted by: 牧師 | June 02, 2007 at 14:20
はじめまして。時々拝見させていただき、いろいろと教えと刺激をいただいております。このたびは広島の師匠のコメントに便乗して(?)初カキコさせていただきます(師匠みてますかー ^o^/~)。
御著書の件をある方からお聞きし、早速拝読し、全体としてとても良い本だと思った(もちろん私の今現在の信仰や考えと違う部分もありましたがそのことも含めて読ませていただいて有意義で、沢山の教えを受けました)ことと、例の文書があんまりだと思いましたので、当教区の総会で教団議長と出版局長にご質問申し上げました。なんか例によってうまくはぐらかされてしまったのですけれど、それでも議場には「そんなことははじめて聞いた。ヒドイ!」という方たちもおられました。
余談ですが、当日議場で本屋さんが出張販売なさることになっていたので、事前に「この本売れますよ。仕入れておいたほうがいいですよー」と社長さんにいいましたところ、あちこちから30冊ほどかき集めてこられたようですが、やはり完売になったみたいです。
そこである方が教団議長に「私は書店の理事をしているものですが、売上にご協力くださりたいへんありがとうございます」(もちろん皮肉です^^;)と申し上げたところ、議長さん「私もあの文書を出したときに、これであの本は飛ぶように売れますよ、って言ったんですよ」ですって。。。サムイ。。。
うわ、長くなってしまったゴメンナサイ
Posted by: peripatos | June 10, 2007 at 00:54
古典芸能のはしくれに生きるものとしては、
日本の文化が「恥」の文化だってのに、考えさせられるものがありました。
「恥ずかしさ」って、実は前向きな思考だと思います。
昔から脈々と受け継がれてきた文化に恥ずかしくないように生きよう・・・
・・・といった意味が「恥じらい」の言葉に込められてると思います。
「恥」の意識の裏には、確固たる先人たちへの「尊敬」の気持ちがある。
でも、体制のねつ造した実態のない「権威」に関しては、
真っ向から批判していった。
そんな反骨精神が、能狂言にはあります。
能楽が幕府の公式芸能として認められても、
なんとか上手く立ち回りながら、したたかに権力を批判する精神が
失われることがなかったんですよね。
こうした文化水準の高さって、かつて日本は持ち合わせていました。
現代は、マスコミが権威の代行をするようになったので、
そこんとこビミョー。
「恥」の文化が、人目ばかりを気にせざるを得ない、
抑圧のみに働くようになってきたのを実感せざるを得ません。
***
武久源造の著書に、河合隼雄氏との対談で、
ちょうど「原罪」についての言及がありました。
河合氏:キリスト教国はみんな「原罪」を背負ってる。
でも、「原罪」を背負ってる割には、やけに楽しそうじゃないですか。
なんか苦しんでばっかりじゃあらへん。
確かに、イタリアとスペインのラテン系国家を旅する課程で、
「原罪」の重苦しさについては、バチカンに代表される大聖堂の、
ゴテゴテした地獄の苦しみに見た他には、実際の生活レベルにおいては、
むしろ日本よりも自由を謳歌してるように見受けられました。
あれは、教会が「原罪」を背負ってくれてるんで、
オレらオレらで好きにやろうぜ!
・・・といった自己中心的な素直な欲望の現れだと思うんですけど。
いまだあそこは天動説で動いてるみたいな?
まずは、自分の欲望のありかを定かにすべきじゃないでしょうか。
それが他者との関係性に於いて、他人の人生の一部を頂戴しながら、
まだ自分を貫き通したい、誤魔化しようのない欲望を第一に。
そうした「罪」の意識に気づくには、子供たちはいくつかのステップを
踏まざるを得ない気がします。
多分、彼らが自分の罪に気づくにはもっと先。
大人になって自立して他人と出会って、
自分と他者との違いを発見できたときのことじゃないでしょうか?
これらは、大人になろうと他者との関係性が失われている現代における、
大きな問題点だと思います。
Posted by: 風船 | June 10, 2007 at 01:00
>peripatosさん
九州教区の方ですよね、たぶん。ぼくの本のことが教団新報にも掲載されて、それがまた話題になって……という具合ですが、軽率に人権侵害をする教団議長には何も感じられないんでしょうね。
>風船さん
おひさしぶりです。関東オフにはご参加いただけますでしょうか。ちょっと集まりが悪いような感触ではありますが。
そうですね、恥の文化といっても、あるべき人間の姿に照らして「恥を知る」ということと、「他の人と違っているのがイヤ」という恥とは全く別のものかも知れませんね。
あまり右寄りの方々の片棒をかつぐようなことは言いたくありませんが、倫理的道徳的な共通意識が失われているところで、「罪」という概念を抱くのは、難しくなっているのでしょうね。
Posted by: 牧師 | June 10, 2007 at 18:45
ところで、広島の師匠。異動に伴いホームページが閉鎖されたようですが、再開をお待ちしております。リンクしようと思っていたころに異動されたのですね。
Posted by: 牧師 | June 10, 2007 at 20:39
重版おめでとうございます^^
ひと安心しました。
重版不可になったら、本屋さんや友達を巻き込んでオンデマンド版で見積り依頼出しまくってやろうかと考えていました。
申し遅れましたが私、広島の師匠の一番弟子で(出来が一番いいという意味ではなく、順番が最初という意味です^^;)、いまはお察しのとおり九州におります(前回と今回のコメントのNameにリンクをはっています)。
Posted by: peripatos | June 15, 2007 at 11:19
お返事が遅れました。今度ともよろしくお願いいたします。広島の師匠とは中学校以来の同期なのです。まさか師匠が牧師になるとは思いもよりませんでしたが……。
Posted by: 牧師 | June 23, 2007 at 10:49