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文化祭~美女で野獣

20071027beautyandbeast
今日は勤め先の学校の文化祭でした。顧問をしている演劇部が『美女と野獣』を公演し、まずまずの成功をおさめました。
正直、春に、文化祭の演目を『美女と野獣』にします、と生徒たちから聞いたときは耳を疑いました。「マジで?」
ブロードウェイのミュージカルで、劇団四季も上演してて、それを見た生徒も何人もいて、それでも、やりたい。ぼくの頭の中では、「あのNASAの技術をも駆使したといわれる野獣から王子への変身は、どうやって表現するつもりなんだろう?」、「細身の女子ばかりの部員で、唯一の男子もまだ幼い中学2年生ときている。いったい誰が屈強な筋肉男ガストンを演じるんだぁ?」と不安が渦巻いていたのでした。
しかし、生徒たちはやってくれました。
ガストンの役柄を変えて、ナルシストで神経質な男に変更。野獣も高3最高学年の部長が扮し「美女で野獣」にしてしまいました。クローゼットや時計や燭台やカップという、ちょっと変わった衣装づくりにもチャレンジ、おまけにダンスや歌にも挑戦……と、何から何まで手づくりで、初めてのことにも果敢に取り組み、この世にひとつしかない同志社香里版の「美女と野獣」を作り上げたのでした。
なんとも、今日のビールはうまいものです。
まぁ、顧問のぼくは、実はなんら手を貸さなかったんですけどね。ぼくは合宿の会計をやったり、買出しの運転手をしたりしていただけです。生徒が自分の力で、自分のアイデアを形にする。ここがすばらしい(いるだけ顧問の言い訳かな(笑))。

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Comments

本当に美味しいビールですね。

Posted by: kawaranochurch | October 28, 2007 at 21:27

はい。エビス・ザ・ホップでした。

Posted by: 牧師 | October 28, 2007 at 23:07

またまたリンクしてしまいました。以前にさかのぼりますが、Healthの「カウンセリングはやめました」という投稿についてのコメントをさせていただきます。私は現在、臨床心理士として仕事をしています。日々、いろいろなクライアントさんと出会う中で、自らの傷を省みながら、受傷の背後で支えになっている宗教性はとても重要なテーマだと感じています。クライエントさんを見ているとそう思うし,どんなに深い傷をもったクライエントさんとでも向き合えると思えるのもセラピストの宗教性ととても関係が深いですね。ただ、自らの宗教観や信仰を押し付けることは心理面接の枠組みの中ではしないよう、そこはきっちりと区別しています。人間がこの世に生き、生かされていること自体が、ある意味、宗教性を帯びたことですよね。しかし人間である限り、そこに迷いや不安はつきものです。こういった問題については日本はまだまだ遅れているので、牧師のご指摘はもっともだと思いますよ。もしかすると、牧師自身がまだそのような問いかけに正面から向かい合ってくれるセラピストとの個別的な出会いを体験されていないのかもしれません。ですので、カウンセリングそのものを否定するというより、そのように感じられた疑問や違和感を今は大切に育んでいっていただけたらな、と思います。

Posted by: 美里 | November 01, 2007 at 01:17

美里さん、コメントありがとうございます。
そうですね、確かに私はまだ宗教性について正面から向き合ってくれるセラピストに会ったことがありません。
といっても、もともとセラピーにかかったこともあんまりありませんが。というのも、カウンセリングには保険が適用されないので、そうそう頻繁に通えるものではないのです。1回1万円で週に一回来てください、なんてのは庶民の世界ではありませんよ。
ですから、これからもたぶんそのようなセラピスト・カウンセラーの方に出会う確率はほとんどないと思います。
しかし、カウンセリングそのものは否定したくありません。ですから、問題意識を持ちつつ、もし神がそう望まれたなら与えられるであろう出会いを待ちたいと思います。

Posted by: 牧師 | November 02, 2007 at 00:42

そうですね(笑) 確かに日本のカウンセリングは高すぎます。その割に流派も様々、曖昧な部分が多すぎて、なかなか生活に浸透しませんよね。アメリカでは弁護士も心理士も敷居が低かったのですが。
私自身はカウンセリングとカウンセリングマインドは別のものと捉えているので、もし身近でカウンセリングマインドと深い人間性をお持ちの方がいれば、わざわざ高いお金を払ってカウンセリングルームになんかに行かなくてよいのです。理想は’カウンセラー不要の社会’ なんて言うと同僚が食べれなくなるので叱られるかもしれませんが・・・。
ただ、最近、キリスト教関係の方や学校の先生方と交流が多いのですが、あれだけ個人情報、他人の人生の深い問題を扱う仕事をされながら、カウンセリングマインド、特に’守秘義務’の意識に対する甘さに驚かされることがあります。そういう意味で心理士は一応プロとして独立して仕事をしているので安全ということだけかもしれませんね。

ちなみに私が最も癒されるのは、夫と晩酌をしながら足をのばしてたわいもない話をしているとき。でも仕事の話はお互いに家ではいっさいしないので、仕事のことで悩むと自分のカウンセラーに相談に行くわけです。対人援助職はどうしても自分がボロボロになってしまいますから、自らが良き相談者であり続けるために、一方で自分が良き相談者に恵まれる必要があるのです。かといって、自分の属する社会や組織で誰かに相談すると必ず後で痛い目にあいますから。そういった意味で非日常な所に一つの駆込み寺があるというのはなかなかいいもんですよ。

ただやっぱり、カウンセリングに行かなくてすむのなら、それが一番だと思います。商売上、大きな声では言えませんがね。


Posted by: 美里 | November 02, 2007 at 22:18

個人情報の取り扱いについては、学校の教師も教会の牧師も甘いと思います。
私は自分が高校時代に育った教会の牧師に、とことんひどい目に合わされたので、牧師の守秘義務についての認識については全く信用していません。もっとも、どの牧師も同じということはありえないんでしょうけれど。
また、牧師の牧師というべきスーパーバイザーの仕組みもありません。時折、特別な敬称ででもあるかのように、年配の牧師が「この人は牧師の牧師です」と紹介されたりすることがありますが、逆に言うと、それほどそういう人が珍しいということですね。

Posted by: 牧師 | November 02, 2007 at 22:26

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