『ジーザス・クライスト・スーパースター』
去る11月10日、京都劇場で、劇団四季の『ジーザス・クライスト・スーパースター』(ジャポネスク・ヴァージョン)を観劇してきました。
ジャポネスク・ヴァージョンあるいはカブキ・ヴァージョンというだけあって、出演者は全員歌舞伎風のメイク、舞台も大八車をモデルにしたシンプルな可動式のステージという、奇抜な演出のイエスの物語になっていました。
ロイド=ウェーバー作曲のひとつひとつの音楽が印象深く、いまも頭の中でガンガン鳴っているような状態です。そういえば音楽も、ロイド=ウェーバーの作曲した曲に、日本の古典楽器の音も混ぜられたアレンジになっていました。
客席は満席。ジャポネスク・ヴァージョンの最終日ということもあって、満席なんだろうけれど、イエス・キリストの物語だから観に来たというよりは、劇団四季のファン結集、という感じでした。芝居が終わってからも、何度も何度もカーテンコールを行なったのですが、イエスの物語に感動したというよりは、ひいきの役者さんに拍手喝采しブラボーを叫ぶという雰囲気に、ちょっと馴染めない気持ちになったのも事実でした。
売店の関連本のコーナーに、遠藤周作の『イエスの生涯』が並べてありましたが、買う人はいないようでした。しかし、こういうところでもやっぱり置かれるのは遠藤周作なんですね。田川建三の『イエスという男』ではない。田川さんの本のほうがこの劇には似つかわしい気もするけど、手軽な文庫本になっていないのがネックなのでしょうか。
ドラマでひきつけられたのは、ユダとマグダラのマリアの、二種類の異なる愛がイエスに向けられていくコントラストが印象的でした。イエスよりもユダが主役のようなストーリーでした。そしてイエスは、ユダからもマリアからも離れて、孤独に十字架の死を引き受けてゆきます。悲劇だなぁと思いました。みんな去ってゆく。さみしい終わり方です。あっけないほどのさみしさです。
その後、カーテンコールで何度も俳優たちが出てきては、さも仲良さそうに互いを引き立てあいながら登場するのを見て、ほっとしました。現実の人間の生涯においても、こうであったらいいのに、と思わされました。私たちは、この地上の人生では、互いに敵であったり、闘ったりするわけですが、もし死後の世界というものがあるのなら、そこでは、このカーテンコールのように、「すべては地上というステージでの芝居であった」と笑い会えるようであったらいいのに……と思わされるのでした。

Comments
ジーザス・・観ましたよ。何を隠そう、四季の会員なのです。そうですね。この世がプレステージで、死後の世界が本ステージだと考えれば、シェイクスピアの台詞であはありませんが、人間は皆、この世では役を演じている道化に過ぎないのかもしれませんね。そして、あの世で全ての役者が役を脱いだ瞬間、「お疲れさん」って互いに肩を叩き合えたらどんなにいいでしょうか。
ところで、ミュージカルといえば、忘れられないのは音楽座の「泣かないで」です。もう10年以上前ですが、初演のときに東京で観ました。遠藤周作さんの「私が・棄てた・女」が原作で、たいてい原作を読んだ後に舞台を観ると失望するのですが、とにかく主演の女優さんの演技が素晴らしかったのを覚えています。ただ、あの時も会場のロビーで売れていたのは原作でもなくハンセン病に関する書籍でもなく、劇団関連のパンフやCDでした。ただ、長いときを経て、偶然あのときの女優さんとお会いすることがあったのですが、彼女が森田ミツの役との出会いがきっかけで、その後、大学に社会人入学され、精神保健福祉師の資格を取られ、今では母親になっていると聞いたときは嬉しかったですね。
Posted by: 美里 | November 14, 2007 at 21:43
ほう、そうなんですか。遠藤周作の『私が・棄てた・女』はぼくが文学部を出るときに卒業論文の題材にした作品です。いまにして思いますが、遠藤周作って偉大だったんですねぇ。
ミュージカルの役に出会ったことがきっかけで、人生が変えられてゆく。ということは、その女優さんも自分の生涯をかけて演じられたということになるんでしょうね。すばらしいことですね。
Posted by: 牧師 | November 14, 2007 at 22:46