埋葬式
父は、死の3日前に病床洗礼を受けて、一応クリスチャンとなった。しかし、お墓は明石市にあるお寺にすでに建立していた。だから、本人としても、その墓に入るつもりだっただろうということで、そこに納骨することになった。
さて、お寺に納骨ということになると、ふつうは戒名がついて、お経をあげてもらって、ということになるのだが、埋骨される本人がクリスチャンになったということで、そこは免除してもらうことになった。じっさい戒名をつけてもらうだけで、何十万円というお金が飛んでいくと聞いていたので、正直ホッと胸をなでおろした。そして、埋葬式もキリスト教でやってもらってもかまわんよ、と住職が言ってくださった。
そして、キリスト教で埋葬式をするとなると牧師を呼ばないといけないね、という話になったのだが、今回は自分でやってみたいと思ったので、「私が牧師の資格を持っています」と申し出た。
本来なら、仏教式でいけば、しばらくはお骨を自宅に置いておいて、三十五日あるいは四十九日の法要を行ってから納骨ということになるし、キリスト教式でも1ヶ月後に追悼式を行うのがふつうらしい。ただ、いずれにしても親族の都合がつかない場合は、それより早くする場合もあるらしい。
実は、家族の都合がどうしてもつかなかったので、去る金曜日の午後に、富田家の墓がある墓地で、埋葬式を行った。かくして、曹洞宗のお寺でキリスト教式の埋葬式をやるという、ひょっとしたら珍しい経験をすることになった。
参列してくれた家族は、みな懸命に讃美歌を歌ってくれ、祈りにも「アーメン」と言葉を合わせてくれた。明るく晴れた昼下がり、骨壷はお墓になかに納められ、ぼくらは別れを告げた。
家族の都合で、ずいぶん早く埋葬することになったが、三十五日、四十九日という数字は、あながちあなどれないと感じた。本音を言うと、実はもっと長い間、お骨を自宅に置いておきたかったのだ。子どもたちも寂しがっていた。別れを告げるにしても、時間をかけて別れる必要が、心にはあるのではないかな、と思った。
しかし、まあ仕方がない。遺影の前に香をたいて、故人を偲ぶよりほかにない。

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