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香をたく

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父のお骨を持って帰って来た。お骨の前で「お香をたきたい」と子どもたちが言う。
子どもたちは「わたしたちはキリスト教」という自覚を最近持つようになってきている。しかし、亡くなった人を思いながら香をたくことについては、「そういうもんだ」と思っている。というか、お香をたくことを楽しみにしているふしがある。
この場合、いかにも仏壇にそなえるような線香ではなくて、趣味の店に売っているような、いろんな種類のインセンスになるわけで、ぼくも、「そういうのもあってもいいんじゃないかな、それが子どもたちの素直な宗教観なら、それを認めてあげてもいいだろう」と思って、「じゃあ、お願いね」と子どもたちに任せた。
そういうわけで、お酒の好きだったおじいちゃんのお骨の前には、ビールが注がれ、そしてお香がたかれている。いろんな種類の香りを家族で楽しんでいる。
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Comments

なんか、体はないけれど、そこに一緒にいる、という感じがしますね。お仏壇になると、一気に遠いところに行ってしまった・・・という感じがしていましたが。お香も季節に応じたもの(今ならさくら?)を使うと、お父様と季節感が楽しめますね。体と魂は別、という表現がなんとなく分かります。

私が天に戻ったときは・・・どうなるのでしょうか?最近、特に、自分の死を考えます。あ、悪い方向ではありません。

Posted by: なな | April 09, 2008 at 23:16

明日には埋葬式をしてしまおうとしているので、子どもたちにとっては寂しいことになると思います。もちろん私にとっても寂しいのですが。
お香は続けたいな、と思っています。今日、フォトフレームを買ってきて、父の一番いきいきしていた野球の試合中の写真と、最近の写真との2枚を飾りました。この写真の前で、香をたこうかなと思っています。

父親が死んだ年齢の半分を、自分も超えてしまっているので、自分の死も漠然と考えたりしてしまいます。自分の場合はきちんと遺された人にいろいろ手紙を書いて残しておきたいです。
まぁそういうのは、思い立ったときにやらないと、ずるずる遅れてしまうんでしょうけどね……。

Posted by: 牧師 | April 10, 2008 at 20:52

僕からも、慎んで仏陀のご加護と平安が有られるようにお祈りいたします。

ちなみに仏教では、死者はお香の香りを食べて、浄土で生きていくとされています。

Posted by: 愚峰 | April 10, 2008 at 22:19

愚峰さん、ありがとうございます。
そうなんですか、お香の香りを食べるのですか。では、お香をたやさぬようにしないといけませんね。

Posted by: 牧師 | April 11, 2008 at 00:30

牧師さんへ。
わが父の遺影とお骨の前でも、
お線香が絶えないように、家族がかわるがわる気をつけております。
最近はあまり煙くならないお線香があるので、助かっています。
うちはついでに、お菓子とかおいしい食べ物など、家族で食べる前におじいちゃんのところにお供えなんかしています。
死者を偲ぶという感覚です。

Posted by: ののか | April 11, 2008 at 06:14

出しゃばったことを書きますけど、カトリックでは献香するんですよね。お葬式でも墓前でも記念会でも。ですから、キリスト教式(プロテスタント)でもお香を焚いてもかまわないんじゃないか、そんなことを考えています。
そもそも東方の博士だってお香を持ってきたじゃないですか。と気炎を上げてみる。
お香も、写真も、位牌(名標)も、あってもいいんじゃないかなぁ、と思います。故人を偲ぶことで、故人の人生に働かれた神の業(神は往々にして不思議な働かれ方をされますが)に思いをはせる。大事なことだと思いますね。

そうか、もう埋葬式も終わった時間ですね。いろいろ大変だったようですが、どうぞ少しでも落ち着かれますように。

Posted by: トマス | April 11, 2008 at 22:20

ののかさん、トマスさん、ありがとうございます。
埋葬式も無事終了し、母と弟と、神戸でしこたま飲んで酔っ払って帰って来たのでございます。
お墓のなかにお骨を納めて、やっと弟もぼくも一段落ついた、とホッとしております。

そうですね。プロテスタントは質素すぎて、いろいろ死者儀礼にしても失ったものは多いとおもいます。
ぼくは多宗教的に、いいものを取り入れるということには躊躇しないので、平和的にいい埋葬ができたと思います。

Posted by: 牧師 | April 11, 2008 at 22:56

あ、でもね。位牌は作りませんでした。あれは、仏教ではなくて、儒教の風習なんですね。儒教は祖先崇拝を重要視しますから。
しかし、位牌の戒名をいただくために、お坊さんに何十万というお金を積む人もいるのですね。
しかし、「たいへん恐縮ですが、キリスト教式で納骨いたしますもので……」と言って戒名はパスしたんですね。だから、たいへん廉価ですべての儀式をとりおこないました。
曹洞宗のお寺の墓地で、キリスト教式で埋葬式を行う。なかなか面白い体験でした。

Posted by: 牧師 | April 11, 2008 at 23:00

神様のお慰めを心からお祈りいたします。
前回は暖かいお言葉ありがとうございました。
先生が大変ななかにありながら、逆に私が元気付けられて
しまって大変恐縮しております・・・。

我が家は、母のみクリスチャンだったせいか、
亡くなってしばらくは母の遺影前は様々な宗教が
入り乱れていました(笑)
もう、基・仏・儒(元々韓国人なので)教的なものが。
でも、それで家族がよしとしてるのなら別段特定の宗教に
こだわる必要もないのかなと思いました。

今はあらゆる事で落ち着かない日々をお過ごしのことと
思います。皆様の心の平安をお祈りいたします。

Posted by: ぱく | April 11, 2008 at 23:08

ありがとうございます。
昨日、埋葬式をキリスト教式でやりましたが、クリスチャンではない家族も讃美歌を歌い、「アーメン」と唱和してくれましたし、キリスト教式にお祈りする場面でも、手を組んで協力してくれました。そのあと、埋骨してから、仏教式に手をあわせてました。ぼくも手を合わせて、心の中では、神のもとに魂が平安であるように祈りました。
多宗教的に、というか、宗教的にマルチであることが、平和のひとつのあり方かな、という気がします。
こういうのは純粋ではない、と怒りだすクリスチャンもいるでしょうが、ぼくは、「相互不干渉」だけではなく、「相互参加」というのも、平和のひとつの形だと思います。

Posted by: 牧師 | April 12, 2008 at 10:11

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