癌が憎い
飲み友達のY牧師が、癌で入院してしまった。明日が(あ、もう今日か)手術らしい。
私は自分の父を癌で奪われ、悪い想像はしたくないが、友人の入院もなにかくやしい。
癌が憎い。いろんな人々の命を奪ってゆく。
飲み友達のY牧師が、癌で入院してしまった。明日が(あ、もう今日か)手術らしい。
私は自分の父を癌で奪われ、悪い想像はしたくないが、友人の入院もなにかくやしい。
癌が憎い。いろんな人々の命を奪ってゆく。
ぼくはクリスチャン。弟は、洗礼を受けたことはあるが、今は信仰を失っている。彼は、仏教に帰依しているというわけではなく、仏式の弔いにもあまりコミットしたくなさそう。そういうわけで、今回の父の葬儀も、無宗教式にしようと話していた。
しかし、いったん病床洗礼を受けさせてしまうと、なんだかぼくも心が落ち着かず、弟には悪いが、結局独断でキリスト教式で送り出すことに急遽変更をしてしまった。
しかし、それでは、弔問に来た人たちが、勝手がわからず困るのではないだろうか、という話になって、一応、お焼香台も置くことにした。つまり、キリスト教式と仏式の折衷案である。これで、弟もぼくも満足した。

そういうわけで、写真にもあるように、父の遺体には十字架の覆いがかけられており、頭上には焼香台も置いてある。これで、クリスチャンが来ても、仏式の人が来ても、対応できるようになったと思う。どちらかの宗教に統一して排他的にするのではなく、なるべく多くの人の宗旨を尊重するためにこうしたのである。
父が死にました。72歳でした。
しかし、本人が言うのではなく、残された遺族であるぼくが言うのも変かもしれませんが、「完璧な死」、「パーフェクトな死に様」であったと思います。
ぼくにとってラッキーだったのは、亡くなる前夜から病室に泊り込んで父の世話をしながら、そのまま死ぬまでそばで看取ることができたことだと思います。
亡くなる前夜の段階では、喉の周囲にもガンがどんどん増殖して、声帯を殺してしまったようで、声が出なくなっていましたが、それでも、息だけで何とか言っていることは理解できましたし、コミュニケーションが取れました。
しかし、喉にできたガンのせいで、血痰がたくさん出ました。そこで、夜通し血痰を吐き出させ、それをふき取る作業に追われました。
朝がきて、血中酸素濃度がぐっと下がったので、鼻に入れた酸素のパイプから、酸素マスクに取り替えてもらった。その時点で、看護師さんから「もう自分で努力しないと呼吸できない状態になりました。ご家族に連絡を」と言われました。そこで、弟に連絡しました。
弟は会社に行きかけたその足で、病院に向かいましたが、朝の渋滞にまきこまれ、到着が遅くなりました。
「親父、あいつが来るまで、待っててくれよ!」と声をかけましたが、父は筆談で「早く死のう」と書きました。本当に苦しかったのだと思います。しかし、ぼくは「あかん、もう少し待ってくれ!」と父に頼みました。
長距離ランナーのように、必死に呼吸をキープしつづける父。弟はまだ到着しない。「遅い」、「何してるんや」と父は息だけで叫ぶ。「あと5分」と父は言います。後5分なら、呼吸する努力ができる。しかし、それ以上は無理だというのです。やがて「あと2分」と言います。「頼むから、待ってくれ!」
そして、やっと弟が病室に駆け込んできて、兄弟がそろいました。父はほっとしたように笑いました。それからは、兄弟二人で手を握ったり、体をさすったり、頭をなでたり、仲のよい時間を過ごすことができました。それから、だんだんと父の呼吸は力のないものになってゆきました。もう努力して呼吸しなくてもよい、と本人も思ったのでしょう、呼吸はどんどん弱くなっていきました。
やがて、病床洗礼を授けてくださった牧師からも携帯で連絡が入り、訪問してくださるとのこと。
牧師が到着すると、ぼくと牧師の二人で、父の魂が和らいで、赦されて神さまのもとに受け入れられるように、と祈りました。そうすると、見る見るうちに血中酸素濃度が下がってゆき、心拍の不整脈もひどくなりました。
もはや呼吸はほとんど停止していました。
主治医は「もし声が聞こえていたとしても、遠くでぼんやりと聞こえるような程度だと思います」と言ったので、ぼくも牧師も大きな声で呼びかけました。
やがて、心拍数が落ちてゆき、次第に間隔があくようになり、そして、十秒以上もの感覚を置いて、最後の鼓動が鳴り、心臓は停止しました。
意思の疎通ができていた段階から、最後の瞬間まで、看取ることができたのは、幸いなことだったと思います。
罪を多く犯した父でしたが、死に際は実に平安に満ちたものでした。
眠るように父は死んでいきました。
ぼくは、生きていた父の体が、亡骸に変わってゆく過程を、目の当たりにしたのですが、にもかかわらず、亡骸が自分の父であることを認めたくない気持ちになっていました。
心停止した瞬間、父の魂と心は、どこか別のところに行ったような気がしました。なぜなんでしょうか。理由があるわけではありません。自分でも意識しないうちにそういう死生観が身についているのでしょう。しかし、それが何に起源があるのかは、自分でもわかりません。
癌が全身に転移して、余命いくばくもない親父。その親父は、さまざまな金融業者から金を借りまくり、友人からも親戚からも金を借りまくり、返済もめども立たないまま、この世から去ろうとしている。
多くの人に迷惑をかけ、多くの人を傷つけた。多くの人が親父に怒りを抱き、憎しみを抱いている。「このままでは、あの人、地獄に行くしかないで。天国行かれへんで。あんた牧師やったら何とかしたりや」と言う人がいた。
そこで考えた。娘3人に幼児洗礼を授けていただいたときには、「この娘たちが、もし小さい間に事故や病気で死んでしまったら、まっすぐ神さまのもとに行けないのではないだろうか。自分が死んだときあの世で再会できるだろうか」と、案外保守的なことを考えたものだった。そう考えて、本人たちがわけがわかってなかったときに、親の判断で幼児洗礼を受けることをお願いした。
今回、親父は確かに罪深い。天国というものがあるとしたら、たぶんそのまままっすぐには天国には行けないだろう。少なくとも、死ぬまでの間、不安であろう。まだ生きている間に、「イエスは罪人を招いているのですよ、あなたは赦されますよ」と告げることができたら、どんなにいいだろうか。
そう考えたぼくは、息子の判断で、親父に病床洗礼を授けてもらうことに決定した。親父は半分意識がボケていたり、半分しっかりしたりの、行ったりきたりだが、とにかく「親父が天国に行けるように、牧師さんに洗礼さずけてもらうからな」と言い聞かせて、本人の同意を取った。
牧師は病院に一番近い教会の、友人の牧師に来てももらって、お願いした。息子のぼくがやるより、他の牧師さんに来てもらうほうがありがたいではないか。
癌が脳にも転移して、半分意識がぼんやりしているような親父だったが、洗礼式の執行中は、おとなしく手を組んでいた。そして、何度かくり返される祈りで、こっちが教えてもいないのに、「アーメン」と声を発した。すごいもんだなと思った。
それが昨夜の話。今夜、お見舞いに行った弟によると、親父は「おれ、クリスチャンになったらしい」とイタズラっぽく十字を胸の前で切って、笑っていたらしい。
生きている間に、いろいろできることはやっておくもんだな、と思った。
洗礼をさずけてくださった牧師は、そんなひょんな縁から突然お願いしたのにも関わらず、その後、今日も病床訪問してくださっている。本当にありがたいことだと思う。
昨夜、親父が病室のベッドから落ちて動けなくなったのを看護師に助けられたらしいが、暴れるので鎮静剤で眠らされてしまった。なんでも、ベッドに戻されながら、「死のうと思ったんや」と言っていたらしい。いっそのこと死のうと思って、ベッドから外に出たのはいいが、癌の痛みと体の衰弱で、動けなくなったらしい。
それから今日にかけて、何度もベッドで暴れている。自分の死が受け入れられないのだろうと思う。死んで楽になりたいという思いと、死にたくないという思いの間で、のたうちまわっているのではないか。
誰だって死にたくない。ぼくだって死にたくない。ぼくも弟も、死ぬのが怖くて、夜中に悲鳴をあげながら起き上がることがよくあった。親父の遺伝なのかもしれない。親父も死ぬのが怖くて怖くてたまらないんだと思う。
意識がはっきりしたままで死を迎えるのも、つらいことだ。
父の鼻に酸素の管が取り付けられた。血中酸素濃度が極端に下がってしまったからだという。血圧も下がってしまった。意識は混濁気味だが、「親父」と呼びかけると、目が正気に戻る。
「死なせてくれー。いっそのこと楽にしてくれー」と言う。「まだ、がんばったほうがええか。がんばらあかんのか」と言う。苦しくて仕方がないのだと言う。しかし、とても「楽にしてくれ」とは言えず、「がんばってや。がんばらんとあかんで」と、かえって本人を苦しめるようなことを言ってしまったのかもしれない。
「親父はいままで幸せやったか?」と聞いたら、「おまえがこうして来てくれるのが幸せや」と言ってくれた。「親父の息子でよかったと思ってるで」と、意識のあるうちに伝えることができた。「ありがとう。ありがとう」と言ってくれた。
今日、明日の命かも知れない。
緩和ケアというのは、痛みをコントロールするのだという。ぼくは、痛みのコントロールというのは、痛みをとったぶん、人にお礼を伝えたり、長い間謝ることができなかった人に謝罪をしたり、そういうことができるものだと思っていた。
今回、そういう予想は完全に甘かったのだと思い知らされた。
痛みを取るためには麻薬を使わないといけない。すると、こんどは意識が遠のいたり、極度に眠くなったりする。痛み止めを投与すればするほど、意識は混濁してゆく。だから、だんだんまともな会話もしにくくなっていくのだ。
そうして、会話もままならず、意識もぼんやりしたなかで、次第に癌の転移は進行し、たとえば脳の呼吸中枢にまで転移したら、呼吸がとまって酸欠死する。癌自体の痛みは取れても、呼吸の苦しさはどうにもならない。そして苦しんで、死ぬ。
親父の場合、いまはノドのリンパが腫瘍になって肥大しており、水を飲み込むこともできない。それでも口が渇くから、「一滴だけ、お茶をくれ」と言うそのとおりに、一滴だけお茶をぽたりと落としてあげた。
こうなるまで、1ヵ月半。こんなに命があっけなく散ってゆくのか、こんなにあっという間に、自分の言いたいことが伝えられなくなるのかと思うと、恐ろしい気持ちになる。
父が入院して、1ヶ月以上がたつ。
癌の進行は、とんでもなく早く、リンパ節に転移しているので、リンパ管を通して全身に癌の種がばらまかれているような状態だと主治医は言う。
この1ヶ月で、父は見る見るやせて小さくなっていく。
痛み止めの麻薬を処方されているが、その投与量が増えてゆくごとに、幻覚を見たり、眠り込んだりする時間が増えてくる。だから、まともに話をする時間もどんどん減ってゆく。
安らかに死ぬには、これがいいのかも知れないが、寂しい。
社会不安障害、の疑いがあるそうだ。
人前で注目をあびたり話したりする場面になると恐怖感や不安感に悩まされる。他人の視線が怖い。自分の視線が不快感を与えていそうで怖い。他の人の言葉や行動の意味を深読みしてしまい落ち込む。人とのコミュニケーションのとりかたがわからない。そういったことを避けるために孤立的な状況に逃げ込みがち……と、お医者さんの机の上にあるMacの画面に出てくる絵や文章に、「はい、あります。はい、それも……」と、いちいち面白いほどに当てはまっていた。
でもそれって、教師に向いてないじゃん。牧師に向いてないじゃん。説教者に向いてないじゃん……と思わずお医者さんの前で力なく「ははは……」と笑ってしまった。
こんな向いてない者でもこういう仕事をしているのです。全国の「自分は向いてない」と悩んでいる牧師さん、教師さん、こんな人間もいるのです。あなたはひとりではありません。
しかし、これは性格の問題ではないのだそうだ。治療すれば治るというのだ。これが治ればどんなに生きやすくなるだろう。治る、という希望をもって生きていきたい。
知り合って間もない友人が、一昨日天に召された。37歳の生涯。あまりにも早すぎる死。みんなが「これからだ」と活躍を期待していた若い魂が、天に呼び返されてしまった。
彼を慕う人は多く、昨夜の前夜式にも、式場の礼拝堂に入りきらないほどの人びとが集まった。そして、多くの者が涙した。「神さま、なぜこんなことが起こるのですか?! このことをどう受け止めればよいのですか」とだれもが問わざるをえない気持ちになったと思う。
まったく前触れもない脳内出血。人生には何が起こるかわからない。こういうことが人生には起こりうるのだという現実を、我々は目の前に叩きつけられた。人は自分の死に方も死に時も選べないと悟らされた。
いま死んでもいい、という整理をいつも自分の身の回りにつけておかなくてはいけないのだなと思い知らされた。残される家族のためにも。
ヘビメタではない。いまどきの中学生たちが、「うちのオヤジはハゲメタなんですよ~」と言う。ハゲでメタボリックという意味なんだそうだ。かく言う私も、だんだんハゲメタ化してきつつことは否めない。メタのほうはビールや満腹まで食べるのをひかえればなんとかなりそうだが(この風邪熱の3日間で3キロやせました)、ハゲのほうはいかんともしがたい。
3日ほど前、遊びに来てくれた卒業生が、「それにしても、先生また一段と薄くなりましたねぇ」とつぶやいたのにはまいった。だって君が卒業してから、まだたった半年じゃないか。
今日は娘たちと風呂に入ったけれど、娘たちも、「あっ! このへん、毛がないよぉ」と指摘。
どうしようもない。聖書には、「あなたがたは自分の髪を白くも黒くもできない」という話があったが、まさに「わたしは髪を抜けさせたり生やしたりすることはできない」。つらい話である。どうせなら白髪だらけの真っ白のほうがよかった。でも選べない。上から私の頭を見ないで欲しい。
ここ数日よく飛んでるみたいだけど、今日あたりからぼくも反応し始めました。
ぼくの場合はいちばん弱いのは目ですね。もうかゆくてかゆくて、おまけにただでさえ充血しやすい目がさらに赤くなる。赤くなるとぼくの目こわいんですよ。人相が悪くなる。これかなりコンプレックスですね。
そして喉と鼻ですね。喉の痛みのほうが先に来ます。「あれ、風邪かな?」と思ったりするんだけれど、特にしんどいわけでもない。結局、花粉症なんです。今年は鼻水のほうは比較的ましですね。くしゃみばかりでます。
コンタックが効くことがわかってるんです。いつもカバンのなかにしのばせています。でも怖いんですよね、コンタック。効きすぎるところが怖い。飲んだらピタッと鼻水が止まる。なんだか化学兵器を思い出してしまうんですよ。吸っただけで立ったまま溺れ死んでしまうガスとか。触れただけで皮膚が腐って落ちてゆく液体とか。だって、飲んだらあれよという間に鼻がすーっと乾いていっちゃうんだよ。これは怖いです。
だからコンタックは、本当につらいときだけ緊急避難的に飲むもの、と決めてあるんです。まだまだ耐えます。
これは別にコンタックの効き目を宣伝している記事じゃないですよ。本当に薬に頼り過ぎないようにしたいです。特にこの手の薬は。
風邪をひいて、いつものとおり、水をガバガバ飲んで、布団にくるまって汗をかいて……という水分多量摂取療法で、自前で熱を下げ、ノドの痛みもなくなり8割方完治……ところが、これもいつものとおり、咳だけが残ってしまった。風邪をひいて、風邪そのものは自前で治すことができるんだけど、気管支炎だけが残ってしまう、というのがいつもぼくのパターン。気管支がぼくの弱点なのだ。
今回、医者に行ってる時間も取れそうにないので、薬店の薬でなんとか治すことにトライしてみようというわけで、店に行ってみた。
咳と痰をおさえる薬でいちばん値段が高かったのが、コンタック咳止めだった。コンタックと言えば、毎年花粉症の時期にお世話になるのが、このコンタックの鼻炎薬。恐ろしいほどよく効く。飲んで5分もしないうちに、鼻水がサーッとドライアップするのだ。その効き目は、ほとんど化学兵器を思わせる。
それで、今回咳止めもコンタックを買ったのだけど、やはり効果はてきめん。飲んで5分もしないうちに、咳が止まってしまった。究極の対症療法だけど、根源から治してないから不安は残る。それにしても、この効き目。製造元はエーザイ株式会社。日本の会社のようだけど、化学兵器とは関係ないのかな……?
ここ2-3ヶ月、一日二食の生活を続けている。朝食べて、昼は抜いて、夕食は食べる。朝と夕の量は特に変えない。ただ昼を抜くようにしている。
ある人に話したら「ラマダーンじゃないですよね?」と言われた。イスラームのラマダーンは太陽が出ている間絶食するというものだけれど、そういうことをしているわけではない。
昼を抜くと、食事に当てていた時間が有効に使えるし、お金もそのぶん使わなくてすむ。一食370円の職員食堂を1ヶ月抜くだけで1万円近くのお金が浮く。
そして体重が減る。この3ヶ月で10キロやせてしまった。いかに今まで余分に食べていたかと思わされる。
40歳を過ぎてから、急激に使うカロリーが減ったことを感じる。いままで三食食べていたのが、明らかに余分なエネルギー摂取だったのだ。体が軽くなると、歩いていても、体が軽くなったという実感がある。
中途半端に腹も減ってないのに夕食を食べるより、しっかりと腹が減った状態で夕食を取るほうが、食事そのものへのありがたい気持ちも増えるような気がする。もう少し、この習慣を続けてみようと思う。
クスリを飲むとき、ほとんど水で飲んでいませんでした。
今は朝夕2回なのですが、朝はほとんどコーヒーでクスリを流し込んでましたし、夕方以降はほとんどビールでいっしょにあおってました。
これは本当によくないそうです。クスリの吸収を阻害したりして、薬効をひどく減少させてしまったりするそうです。
「お腹に入っちゃえばいっしょじゃん?」と言っていましたが、誰に聞いても、医者に聞いても、クスリは淡水で飲んで溶けて吸収されるように設計されているので、他のもので飲んでは意味がないそうです。
まぁ、そんな飲み方をしても、症状がよくなっているということは、本当によくなったことになるんじゃないの?と喜びたい気持ちもあるのですが、やはりつらいときはつらいので、ちゃんと水で飲むように、これからは気をつけようと思います。
欝はだいぶ症状がましになってきたのだけれど、今度は眠れなくなってきた。考え事や気に病んでいる事が、横になったとたんに頭のなかでいっぱいになって、パチーンと目が覚めてしまうのだ。「今日は早く寝なきゃ」と思って10時ごろに横になったまま2時3時まで眠れない。当然翌日の仕事にも響く。
釜ケ崎のおじさんたちは冬は眠れないと聞く。寒くて寝られないのだ、しかし、寝ないと次の日の肉体労働に響く。だからどんなに寒くても眠れる場所を確保しなくてはならないし、寝ているところを途中で起こされても次の日に響くから、眠るということも越冬闘争には大切なことらしい。
釜ケ崎のおじさんたちには足元にもおよばないが、眠れなくて次の日の仕事ができない、というのはよくわかる。
医者に言って、ハルシオンを倍の量にしてもらい、寝る3時間前には、精神安定剤を飲んで、いろいろ気に病むのをおさえることになった。おかげさんでやっと眠れるようになったのだけど、眠れないおじさんたちはどうするのだろう。
梅雨時は、この雨のなか、どうやって過ごしているのだろう。
ハルシオンを飲んでもいっこうに眠たくならないので、レンドルミンを飲む。これも効かない。夜はふけてゆくし、目はランランと開いている。少しでも眠らないと、明日(ていうか今日)の仕事がボロボロになってしまいそうなんだけど、とにかく眠くならないから困る。
あちこちリンクしているブログをコメント書きながら漂流してきて、また自分の部屋に戻ってきてしまった。
こういう場合はじたばたしないで、起きてりゃいいんだろうな。あちこち漂流してきて、みんなの動向がわかってよかったよ。
このところよく眠れない夜がある。ということで、睡眠導入剤のハルシオンを頓服用に処方された。
いろいろ健康状態を聞いて、薬を組み合わせて処方するお医者さんを見ていると、「今晩はこんなワインではいかがでしょうか?」と聞いてくるソムリエのように見えることがある。薬のソムリエ。
さて、「この薬は飲んでから15分くらいで効いてくるので、眠る直前に飲んでください」と薬剤師には言われたのだけれど、なかなか効かない。というか、途中までは効く。体が重くなり、まぶたも重くなり、「あーこれで眠れるかなぁ」と思い始めたあたりで、効き目が止まる。つまりそれ以上眠たくならない。たぶん最初だから弱いものを出されたからだと思う。どうも中途半端な眠気で、半覚醒状態のまま朝を迎えてしまう。
やれやれ……今度ソムリエのところに行ったら、もう少し強いものをお願いしよう。
昨日ほんとうに調子が悪かったので、久しぶりにリタリンを朝飲んでみた。おかげで一日元気に働くことができた。
薬品ひとつでこんなに変わるのかと思い。自分の精神の自律性とか、正気ってなんだろうとか、いろいろ考えさせられた。人間の脳は、そして精神や感情や感覚というものが、本当にケミカルなものだと思い知らされる一日だった。
調子の悪い日もある。今日はそんな日。午前中は授業だけは何とかこなすが、それ以外の時間は体中に毒が回ったみたいに動けなかった。薬を減らしてがんばっているが、調子の悪い日というのはあるものだ。やれやれ。
クスリを飲み忘れても落ち込むこともなくなり、ただデパスを飲み忘れたら24時間で離脱症状が出て気分が悪くなるので、それで思い出してクスリを飲む、という程度の服薬でも、元気に働けるようになってきた。
お医者さんが「トンネルを抜けるように」と言ったのは本当だった。欝のトンネルから抜け出したような気分だ。
うつ状態がひどかったときの日記を読み返しても、どんなに自分がひどく落ち込んでいたかがわかる。本当に死にたい気分でいっぱいだったのだ。でも今は違う。まだ完全にクスリを断ち切っていないが、回復傾向にある。
今日からクスリが半分近く減った。今後も様子を見ながら、どんどん減らしてゆく。
うつ病で苦しんでいる全ての人に伝えたい。
うつ病は治ります。1年2年はかかります。しかし、必ず治ります。絶望して自殺なんかしないでください。
うつは治る病気です。
今日、授業に行ったあるクラスで、なぜか雑談がクスリ談義になってしまった。これがなかなか楽しかった。おかげで授業の半分くらいがヤク談義でつぶれてしまったけど、まぁよい。質問と応答で成り立つ授業のほうがはるかに有意義だ、なんちって。
例によって、うつ病に効く薬は基本的にハイになるクスリなのだ、という話になり、クスリ次第で精神状態がコントロールできることに、生徒のみんなはびっくりしたみたいだった。
そう、うつ病と言っても、結局、脳内物質の一種であるセロトニンなどが欠乏する症状。他のいろんな感情も、ニューロンを動き回る脳内物質の流れで作られている(というのが今の最新の仮説)。
喜びも悲しみも、憎しみも愛も、脳内物質の流れで起こる現象だ。ということは脳内物質の量や流れをコントロールすれば、喜んだり悲しんだり、憎んだり愛したりできるわけだ。
こういうことを考えていると、結局いま悩んだり、考え込んだり、いろいろもがきながら生きているこのオレってなんなの?ということになってしまう。
牧師であるぼくも、脳内物質が安全に完全にコントロールできるようになったら、宗教なんか必要ないんじゃないかと思うことが正直に言って、ある。
まだ人間の科学がそこまで到達していないので、ぼくらは祈ったり、信じたり、歌ったり、聖書を読んだりして、自分の力で神を信じるという方法を取る。しかし、時代が変われば、もっといい方法があるのかも知れない、ということは考えている。だって宗教は、たいへん人間にとって大切だと思う反面、じっさい宗教の使い方を間違えて、とんでもない虐殺や戦争が行われたりもするんだから、宗教よりも確実に安全な人の心の癒し、人の心の支えが発見されれば、それに越したことはないと思う。
1ヶ月ぶんもらっていたはずのクスリが、2ヶ月近くもかけてやっと消費するような状態だったので、そもそもクスリを減らしてもいい状態なんじゃないの? ということで、一日3回飲んでいた薬を、全部一日2回に減らした。
ストレスの激しい日には、強い欝症状が出ることもあるけれども、それ以外の日にはほとんど普通の精神状態に戻ってきたように思う。医者いわく、「トンネルから出る感じ」だ。
まぁこれも一進一退しながら、状況が推移してゆくのだろう。クスリを三分の二の量に減らすのは、ぼくにとってはチャレンジだ。
東京で行われた国際聖書フォーラムに参加して、本題からズレつつ面白い(といってはいけないのかもしれないが)、興味深い証言を聞いた。
説教塾主催の、かの有名な加藤常昭先生。ノートルダム清心理事長の、かの有名なシスター渡辺和子。どちらのお方も、うつ病を患った経験があるということ。ご自身がオープンな場で話しておられたし、記録も出版される予定だから、話してもいいと思うけど。
シスター渡辺は治療に2年間かかったという。加藤常昭さんは、医者からの薬を拒否したという。全く対照的なお二人だったが、共通していたのは、周囲のひとびと、加藤さんは牧師たちのつながり、渡辺さんはシスターたちのつながりがご本人たちを支えてくれたということだった。
かの有名な方々が、ご自分をうつ病であることを隠さずオープンにしてくれていたのが、うれしくもあり、勇気を賞賛したくなった。
そういえば、「Health」の項目でカウンセリングを受け始めたことだけ書いて、あとは放ったらかしなのに気づいた。
実はカウンセリングは3回だけ受けてみてやめてしまったのだ。
3回でやめるのは判断が急すぎるのかもしれないけれど、どうも違うという感覚がつきまとって離れなかった。それというのも、自分を担当してくれたカウンセラーが「私は宗教のことはわからないが」とガードをはってきたからだと思う。
ぼくは宗教的な悩みも含めてカウンセリングをうけたいのだ。しかし、「宗教がわからない」というカウンセラーでは話にならないではないか。
日本ではたしかに宗教にくわしい人は少ないかもしれないが、宗教がよくわかっているカウンセラーも必要だと思う。日本人は宗教についてあまりに無知すぎる。間違った偏見も多い。そのために宗教のよい部分を利用することもできないし、怪しい宗教の被害者になる人も多い。宗教にくわしいカウンセラーがいることは大切だと思う。
というわけで、カウンセリングはとっくにやめていました。
このブログのなかで「Health」のカテゴリーだけ取り出して自分で読み返してみたら、かれこれ1年以上服薬治療を続けていることになる。一進一退を繰り返しながら一喜一憂してきた。
うつ病の治療には2~3年かかることも多いらしい。だからゆっくりかまえているほうがいいと思う。
今日は調子がよかった。ここ数日の不調で停滞していた仕事を一気に片付けた。充実した日だった。
リタリン半錠で、からだが軽くなる日もあれば、ぜんぜん気分が晴れない暗く重たい日をすごすこともある。今日はそういう日だった。薬の効き具合も日によって異なるのだ。……当たり前のことかもしれないが。
リタリンを毎日服用するようになってから、日中の仕事に差し支えるほどの欝症状はなくなり、たいへん仕事がしやすくなったのは事実だけど、がんばるほど体内の資源を消費しているような気がしていた。案の定、金曜日が終わるとぐったり、土曜日は一日休んでいないとどうしようもないくらいだった。元気出すのもいいけど、体内資源消費で早死にするかも、とか思った。
医者から毎朝飲みなさいと指示を受けたリタリンがいい具合にきいて、けっこう元気に仕事ができている。この薬がなかったらどんなに疲れ、消耗し、磨り減っているだろうかと思うと、恐ろしい気もするし、それだけ消耗している自分がこの薬ひとつで元気になっていることで、なにか大事な自分の中の資源が、必要以上に燃やされて早死にするんじゃないかと思うくらい元気なのである。
クスリの飲み忘れが続いたせいか、新学期が始まってストレスが高まってきたせいか、結局薬は増量されてしまうことになった。
いっこうに元気がでないので、リタリン半錠を毎朝飲んだらどうでしょう、ということになった。
今日から朝、半錠だけリタリンを飲む。うーん、やはり元気が出る。仕事がはかどる。
まぁ子どもにでも処方されているような薬だから、大騒ぎする必要はないのかもしれない。
飲み忘れすぎて、ふたたび欝が戻ってくることがある。
新年度が始まり、また多忙な毎日が始まることも不安の要素になっているのだろう。
ぐったりと動けないときが時々襲ってくる。また薬を増やさないといけないのか知れない。
このままうまくトンネル抜けられれば、と思ったんだけどな……。
最近、薬をよく飲み忘れるようになった。飲み忘れても、大した変化がないので、だいぶ病気のほうもよくなったかなと思うほどだ。
飲み忘れたのを思い出させてくれるのは、デパスが切れたときの禁断症状だ。夕方ごろになって胃がムカムカして吐き気がして頭がクラクラして、初めて朝から薬を飲み忘れたことを思い出す。
治療を受け始めてから約1年、やっと平常な状態の心に戻りつつある。
次第に落ち込んで動けなかったりするような時間が少なくなり、仕事がこなせるようになってきた。医者が言うような「トンネルを出てゆくような感覚」がないでもないような気がする。
勇気を出して、さらにクスリを減らしてもらうように医師にお願いしてみた。勇気は正直必要。現在の精神的な安定がクスリのおかげということもあるので、ゆっくりゆっくりと減らしてゆく計画を、医師と相談しながら立てた。
クスリを減らすというのは、チャレンジだね。
ひさびさにクスリが減った。これまで9種類のクスリを飲んで、鬱に対抗していたのだけれど、最近は「ドスーンと動けない」という状況が減ってきて、普通に体も動くし、働けるようになってきたので、思い切って医者に「クスリを減らして様子を見たい」と言ってみたのだ。そこでクスリは8種類となり、残った薬の中でも量を減らしたものもある。これでうまくいかなくなったら、またクスリを増量すればいいわけで、とにかくトライしてみることが大切だと思い始めたのである。こういう意欲が湧いてきたこと自体、欝が改善している証拠かなとも思ってみたりする。
実はカウンセラーのお世話にもなっている。神経内科の医療とカウンセリング。ちゃんと自分のメンタルケアをしているようで、悪くない気分。
先日の面談では、「欝病が治る前に、きちんと考えておかないければならない宿題」を出されてしまった。もし、このままで欝が治ると、治ったからまた100パーセントがんばる日々が始まるだろう。次に燃え尽きたときには、もっとひどい結果になるそうだ。欝というのは「自分がここまでで限界だ」ということを教えてくれているメッセージなのだから。治ったあとでも「もとどおりにできる」ではなく。自分のエネルギー配分をどうするのか、仕事をし、家庭を営み、自分の時間を持ち、という風に、自分の人生の使い方を考え直しておいたほうがよいというのだ。
まぁそういう宿題をカウンセラーの先生からもらったかっこうだ。
2日前に書いた記事に関して、「治る病気なのだ」と強調することが「治らない」あるいは「治りにくい」とされている人を排除することになるのではないかと、ある人から指摘を受けた。
差別発言の攻撃を受けて「治る病気なのだからいいのだ」という風に自分をかばいたくなったせいで、自分まで心の病や重荷を抱えている多くの人を切り捨てる発言をしてしまった。
現実的には、心というのはどこから健康でどこから病気だというはっきりした基準が無い。自分がしんどいと思えば治療を受けるのがいいのだし、本当は病んでいるのに自分では健康なはずだと思いこんでいる場合もある(←そういう人のほうが多いだろう)。
「無病息災」というのは幻想なのであって、「一病息災」ぐらいが自然だとも言う。歳をとるほど、そういうことは言えると思う。「二病息災」、「三病息災」もありうる。
肝臓の調子が悪いとか、目が悪くなったとか、胃潰瘍を持っているとか、車椅子生活であるとか、あるいは欝病であるとか、そういう問題を抱えながらも、可能な限り自分の仕事をし、自分らしい生活をする権利は誰にでもある。
「治る」とか「治らない」という判断で人を分類したり、価値づけを行ったりするのは現実的ではない。
「治る」「治らない」にこだわる必要はないのだろう。
昨日から元気を取り戻すための漢方薬と、アリナミンも処方された。
漢方は副作用がないのがいいらしい。元気を出すためだったら、ユンケルを飲んでもいい、使えるものは使いましょう、ということだった。
いろいろお医者さんと話しているけれど、とにかく仕事のしすぎで疲れてしまったのでしょう、ということだった。
ある仕事で疲れたりストレスがたまると、別の仕事で紛らわせる、というようなことを診察の初期では話していたらしい。「むちゃくちゃですね」と言われてしまった。
でも今考えたら、2003年~2004年のような仕事のしかたは、今の自分には無理だと思える。生き方そのものを少し考え直す時期なんだろうな。
昼過ぎごろ、非常に強い鬱に襲われ、体を動かすこともままならなくなったので、ついにリタリンに手を伸ばした。
錠剤を半分に割った10mgのものを飲んだ……ら、15分後には体が動かせるようになって、シャキーン! これで夕方まで仕事がはかどる、はかどる。
これ、クセになる人の気持ち、わかるような気がする。
でも、本当にクセ(依存症)になるのはいやだから、本当にしんどいときだけにしようっと。
ついにリタリンを処方されてしまった。
鬱病治療の代名詞とも言われるし、テレビや新聞などで副作用や依存性などが取り沙汰される、あのリタリンである。
ちなみに……と思ってネットでいろいろ調べてみたら、要するに覚せい剤と同じ区分に属する薬剤らしい。
飲んだときは多幸感、高揚感、覚醒感があるという。しかし、切れたときに強い鬱がやってくることもあるという。耐性ができてくると、同じ量の服用では同じ効果が得られなくなるので、量を増やしたいという欲求にかられる。これが依存症への道となる。
道理で「頻繁には飲まないように」と医師からクギをさされたわけだ。
今は頓服としてもらっているだけで、特にしんどい時だけに飲むように、ということなのだが。これが常態化したくないので、なるべく飲まないようにしよう。
薬が増えることへの不安というものがある。
医師に自分の状況を説明すると、たぶん薬を増やされるだろう。薬が増えるということは、それだけ自分の病状が重くなっているということを認めざるをえないわけだから、それは不安につながる。
いったいこの病気は治るんだろうか、という不安。あるいは、どんどんこうして悪くなってゆくのだろうか、という不安だ。
薬局から薬の入った袋を手にぶら下げながら出てくるとき、薬がもらえて心強くなった気持ちと、さらに薬を必要とせざるをえなくなった自分への不安との間に挟まれたような気になる。
マルコによる福音書2章13~17節は、イエスがアルファイの子レビを弟子にするエピソードである。
レビは徴税人であり、彼の友人も徴税人や、いわゆる罪人と呼ばれている人びとが多かった。
レビは弟子にしてもらったあとイエスを家に招き、食事をもてなした。それを見て、ファリサイ派の律法学者がイエスの弟子に「なぜ彼は徴税人や罪人と食事をするのか」と聞く。すると、それを聞いたイエスがこう言う。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
これを読んで思う。
「これでは、まるで丈夫な人が正しい人で、病人が罪人あつかいされているようじゃないか」
だいたいなぜここで医者の話が出てくるのか。もともと文脈は罪人に関する論議のはずだ。医者の話などしていない。医者の話が浮いているのだ。
願わくば、実は医者の話は別系統の伝承であり、無理やりここにマルコかマルコ以前の伝承の段階で埋め込まれたか、あるいはイエスがじっさいにファリサイ派との論争のなかで医者の話を引き合いに出したとしても、後半の「わたしが来たのは……」の部分は説明のための付け加えであった、ということであってほしいものだ。
イエスはじっさい医者としてガリラヤのほうぼうで活動していた。その癒し手としての使命感から、ただ単純に、簡潔に、
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」
と言ったのだ、と思いたい。
癒し手が必要なのは病人なのだ。病人こそが救われなければならない。わたしは病人を癒すために来ているのだ。……そういう言葉を元来のイエスが語ったのだ、と思いたい。
ふと頭がヒマになると、「死にたいな」と思うことが、よくあるのがこの病気。
疲れやストレスがたまってきて、薬の効き目を上回るような状況になると、よく「死にたいな」願望が顔を出す。
こういうとき、自分が病気だということをちゃんと自覚していることは大事だと思う。「自分がそういうネガティヴな願望にとらわれるのは、単に病気の症状なんだ、本当に死んでいいわけじゃないんだ」と思うことができるからだ。
そういう意味では、患者としてちゃんと治療に行くということも、やはり大事なことだと思う。
天気の悪い日は欝が激しくなるらしい。
イタリアよりイギリスのほうがうつ病の発生率が高いらしい。イギリスでは晴れた日が珍しいらしいから。
雨が続いたこの火曜日と水曜日は本当につらかった。体もゆっくりとしか動かせないくらいだった。木曜日の今日になってやっとふつうに仕事ができるようになるまで回復したけれど、夕方でエネルギーが切れたなぁ。
自分の病気のことを公開するのは、ちょっと勇気がいるけれど、職場で声をかけてくれたり、励ましてくれたりする生徒が何人もいるのはとてもうれしい。力が出る。みんな、ありがとう。
疲れがたまっていた上に、医者に行く時間が見つけられなくて、薬が切れてしまったとたんに、薬の離脱症状が出て、倒れてしまいました。
演劇部のメンバーといっしょに文化祭で上演した劇の記録ビデオを見ている最中に、突然嘔吐しながら倒れてしまったものだから、本当にみんなびっくりしたみたいで、いやぁ悪いことをしました。
でも、倒れるまで本当に苦しかった。そこにい続けること自体が苦しいという感じね。
2日間職場を休んで、薬も再開し、だいぶ体調も回復してきたので、こんな風に書き込んだりしています。
うつ病の服薬治療を始めて、そろそろ半年になろうとしている。
医師と相談しながらいろいろな薬の種類や量を試してきて、最近になって、やっと最適な薬の処方が見つかってきたような塩梅だ。なかなか調子がいい、多忙さやストレスにも安定した精神状態で対処できるようになってきた。だが、逆に言うと、けっこうたくさん飲んでいるこの薬がなかったら、ボロボロになってしまうくらい疲れているということも言えるのだろうな、と自ら苦笑したりもする。
心が安定してきて、いろいろ考える余裕ができてきた。
どうして、うつ病になったのかな、と考えた。
人一倍がんばっているところを見せつけていないと不安になる自分の心のあり方がよくなかったのかな、と気づき始めた。要するに、ぼくはアダルト・チャイルドだったのだろう。だから、たくさんたくさん仕事や用事をこなしていないと自分が一人前の人間として認められないような気がして、次から次へと仕事や用事を大量に抱え込んでしまったあげく、限界を超えて脳がうつ病に陥ってしまったんじゃないかと思う。
うつ病はうれしくない病気だ。他の肉体的な病気なら、自分の体が痛むだけだが、心の病は自分の精神状態によって周囲の人を傷つけてしまうことがある。それがつらい。
しかし、ちゃんと治療に取り組んでみたら、そういう自分に気づかせてもらえるチャンスとしてうつ病をもらったのかな、という気もするようになってきた。つぶれることも、限界を知るためにはよかった。
治療を続けると同時に、自分のことをこれからも見つめ続け、アダルト・チャイルドである自分をも癒し、少しずつ和らいだ人生に変えていきたいと思う、今日この頃だ。
新しい仕事のシーズンが始まって、またストレスが高まったせいか、結局減らした薬では精神も体ももたなくなって、今日からまた増やすことになった。
ていうか、減らした量を粉薬でもらっていたのを、調子が悪くなってから、勝手に2包づつ飲んでたので、じっさいには以前より増やしてしまっていたのを、今日の処方で公式には増やしたつもりが、実は減る、という、何をやってんだかわからないような治療生活である(笑)。
やれやれ。
ナスと、キュウリと、ピーマンと、オクラと、ミニトマトを、植えた。
野菜をちゃんと育てることが、自分の精神の健康を育てることにもなるんじゃないかな、と思った。
できあがった畝と並んだ苗を見て、わしは「よし」と思った。
医者に行く時間がなくて、やむを得ず薬が切れた。そういうことが2度あった。今飲んでいる薬は、切れかけると、一時的に躁になって、それから一気に鬱がやってくる。
しかし、2度目はだいぶセルフ・コントロールが効くようになった。また依存性も気になったので、すこしずつ自立、ということで、クスリが今日から半減した。
さっそく筋弛緩剤が足りないので、肩こりと腰痛で全身重くなった。ああ、実際薬がないと、こんなにオレの体は疲れているのか、と驚いた。
要は休まないといけないのね……。
公に人が見るサイトで、自分が心の病気であることを公表しても大丈夫なのですか? と心配してくれる人がいた。
たしかにクリスチャンや教育の世界も幅が広くて、「心が病気なのに、牧師などできるのか」、「教師などして大丈夫か」などという、根拠も知識もない言いがかりをつける人もいるかも知れないけれど、どんな差別の世界でも、被差別者が声をあげて自己表現、自己表明していかないと世の中変わらないのと同じように、やはりぼくは自分が鬱病であることを隠さない。
欝なんて、ストレスと孤立感が何年も続けば、誰だってなる病気だ。
高血圧やリュウマチや肝硬変を抱えながら、医者に通いながら、がんばってみんな仕事をしている。
脳だって、心臓や血管や関節や肝臓など同じように、人間の臓器に過ぎない。そこの病気を抱えながら、医者に通いながら、がんばってぼくも仕事する。
神経内科にもらったクスリが、三打目にクリーンヒットで、ここ1週間ほど、非常に快調。
筋弛緩剤が入っているらしく、肩こりがない。ストレスや孤立感からも立ち直りが早くなった。
気分の落ち込みも、とことんまで、というのは、ない。自傷への衝動もほとんどない。
……ということは、だね。「フツウに暮らしている」ということです。
フツウにくらしているから、これであたりまえのように感じる。自分がクスリに頼っているということを忘れてしまいそうになる。まったく「フツウに暮らせる」ということは、実はつくづくありがたいことなのだ、と感謝しよう。
しかし、よくよく思い出してみると、通院し始める前までは、どんなにひどい状況だったかと思うと、やっぱり投薬治療のおかげで助かってるはずなんだよな、と思う。
ストレスや孤立感や徒労感などなどでお悩みの方。「つかれた」、「もうだめだ」、「自分の人生は何の意味も無い」、「人生はただの徒労だ」、「ただ死を待つだけの人生だ」、「できれば早く死が来てくれたら、楽になれるのに」とお悩みのみなさま。早く医者に行って下さい。
「こんな程度で弱音を吐いているようじゃダメだ」と言って、自分を追い込んでいる方。無理しないで、「あーしんど」と思ったら心療内科か神経内科に行ってください。
けっこう楽になります。てゆうか、いまどき、メンタルケアをちゃんとやってます、と言ってるほうが、カッコイイかも。
……ということは、ですね。これまで重い精神的な悩みで苦しんでいると思っていた人間が、クスリでフツウに暮らせるようになるのなら、宗教もヒーリングもいらないんじゃないか(笑:本当にオレは牧師なのか?)なんて思ったりまでするですが……。これは、また考える課題ですね。
大阪K教会のT牧師の話。
つい2-3ヶ月前に、説教の最中に講壇の上の原稿が半分見えなくなって、ろれつが回らなくなって、何言ってるのか自分でもわけわかんなくなって、信徒に講壇からひきずりおろされて、それで救急車で運ばれて、「虚血性脳塞栓」だと。めちゃくちゃ幸運なことに、30分ほどでつまっていたのが溶けて血流が戻り、一命をとりとめたそうだ。
今はピンピンしてるんだけど、話を聞いてると恐ろしくなって、「やっぱり歳をとると、いつどこでどんな風に死ぬもんかわかったもんじゃないな」と思った。
と同時に、「やはり教会の礼拝説教は完全原稿でないといかんな」と思った。
T牧師が倒れて、救急車で運ばれた後、代わりの教会員が講壇に立ち、T牧師が用意した説教の原稿を読んでくれたそうだ。それで説教は成り立ち、礼拝はなされたのだという。
やっぱり説教は完全原稿でないといけない。
自分は「あとでウェブサイトで発表するから」と思って、そういう動機で完全原稿を書いているようなところもあったけれど、「そうか、歳をとるほど完全原稿と言うのは大事なんだなぁー」と思った。
自分が突然いなくなっても説教が機能するために。
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