こんころ

毎年、CLS(同志社クリスマス・キャンドル・ライト・サーヴィス)の翌日には(例年12月23日)、富田林市にある大阪府立金剛コロニーに訪問し、クリスマス・ミニ・コンサートを行うことにしている。
もともと3年前に、同志社香里クワイアのメンバーが、妹の入所している金剛コロニーという施設に行って歌いたい、ということから始まった行事。もうそのメンバーは卒業して大学生になったけれど、このコンサートの時にはOGとして見に来てくれる。
われわれはこの金剛コロニーでのライブを「こんころ」プロジェクトとして、聖歌隊だけでなく、ボランティア部も合同で、歌だけでなく、ハンドベル・クワイアなども結成し、ホールの飾りつけも行なって、少しでも入所者のみなさんにクリスマス気分を味わってもらえたら、と思って取り組んでいる。今年もなんとか成功にこぎつけたと思う。
クワイア、ボランティア部のみんな、ごくろうさま。金剛コロニーの職員のみなさん、お騒がせしました。そして、たいへんお世話になりました。ありがとうございます。
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クリスマス・セレブレーション

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12月12日(水)、「同志社香里クリスマス・セレブレーション2007」というイベントを学校の礼拝堂を会場に実施しました。
いくつものキリスト教学校で、クリスマスのシーズンには、いろんなページェントや演奏会などが催されるのですが、おそらくこの同志社香里のイベントは、それらの中でも最も世俗的なもののひとつだろうと思います。
キャンドル・サービスから始まって聖歌隊のクリスマス讃美から始まりますが、聖歌隊がゴスペルを歌うと、流れは一気に世俗化してゆき、吹奏楽部、マンドリン部、軽音楽部、そしてダンス部が、それぞれにパフォーマンスを行います。そして、最後はみんなでダンスを踊り、お約束のサンタの登場で、お菓子を子どもたちにプレゼントします。その後は、あたたかいおぜんざいを来場者全員にサービスします。
集まってくるのはほとんどが、幼稚園か小学校低学年くらいの子どもたち。地域の子どもたちが170名近く集まりました。声をかぎりに「サンタさーん!!」と叫ぶ迫力にこちらがたじたじとするほど。やっぱりサンタが登場すると最高潮に盛り上がります。
まぁ、教会学校がやっていることを、学校と言う単位で、地域の子どもたちを集めて、大掛かりにやっている、という感じです。こんなキリスト教学校のクリスマス・イベントがあってもいいと思いませんか?

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まるつけ

テストの採点のことを「まるつけ」と呼ぶことがある。
たくさんの○をシャッシャッとつけていくのは爽快だ。しかし、ときどき勢いで間違っている答案にまで○をつけてしまうときがある。これを訂正して×にするのは、はっきり言って気が滅入るし、返してもらった生徒も気分が悪いだろうと思う。
そんな話をある生徒たちとしゃべっているときにしたら、「そんなの先生、最初から全部マルでいいじゃないですか。難しく考えなくてもいいですよ。全部マル、マル!」と口々に言う。そりゃあ君たちにとってはそのほうがいいだろうけどね……。全部○でもおかしくないような簡単な問題を出してるんだから、その期待に応えてよ、と思う。
点数が低い生徒が続出すると、自分の教え方が悪かったんじゃないかと心が痛む。いや事実そうなのだろう。生徒の点数は、先生の成績でもあるのだ。

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ファンタジー

学校で授業をして、イエスの生涯を描く場合に、すでにベツレヘムに博士たちを星が導いたとか、イエスが生まれたのは処女からであったとか、そういうことは史実ではありえないとか、復活というのは、墓から死体が起き上がって出て来たのではなく、弟子たちが見聞きした体験のことである、誕生物語、受難と復活の物語は「フィクション」の部分が多いのだ、というようなことを生徒たちに話してきたのだけれど、やはり「フィクション」という言い方はよくないのかも知れない。
それは、現代人の感覚では事実として認められるようなものではないけれども、その場その時に生きていた人びとにとって、そして聖書を書き残した人びとにとって、大切なことを伝えようとする物語なのだということを言いたい。「フィクション」というよりは、「ファンタジー」と言ったほうがいいのだろうと思う。そのファンタジーにこめられた意味を解き明かすのが、自分の仕事の目指すところなのだろうと思ったりする。

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要約

ぼくの連れ合いは頭がいい。きっとぼくより頭がいいと思う。まぁそう思う人は他にもたくさんいるけど。
ぼくが礼拝説教を担当したとき、礼拝のあとで、わかりやすかったかどうか聴いてみる。「うん、よくわかったよ」と返事が返ってくる。ほんとに聴いてたのかと聴くと、「聴いてたよ。まとめるとこういう内容でしょ?」とペラペラペラっと実に簡潔に要点をまとめてしまう。「ああ、ちゃんと聴いててくれてたんだね。ありがとう」とは言うのだけど、あんまり簡単にまとめられてしまうと、自分が懸命に用意したものがひどくお粗末に聞こえてガックリきたりもする。
「どう思った?」と感想など聞いたら、もっと悲惨な気持ちになるのはわかっているのだ。「どうっていっても、ねえ、(ヘラヘラ)まぁそうなのかなーと思ったよ」。やっぱりガックリである。

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宗教は必要か

宗教が必要な人ってどんな人なんだろう、と改めて思うことがある。
圧倒的多数の宗教に対してニーズのない人々に宗教の話をするのが自分の仕事なので、本当に宗教なんか必要なのかな、と疑問に思うこともしばしばだ。
だいいち、自分でも(特に最近は)自分のことを大して宗教的な人間でもないと思う。
もっともそうであっても、宗教、特にキリスト教のことをかえって客観的に話せたりもするから、仕事が行き詰まってしまうということではないのだけれど、逆に客観的に、なぜ宗教を必要とする人間がいるのだろう、と疑問に思ってしまうのだ。

もちろん、葬儀や結婚式において、あらためて故人の霊の行く末に心をめぐらせたり、神の前に厳粛に約束をする、ということが必要だと思うこともあるのだが。
しかし、それらの習俗儀式を取り仕切る以上に、宗教の果たすべき積極的な役割が、現代の世界でありうるだろうか、むしろ脇役に後退してしまったほうがよいのではないかと思うことがある。

もっとも、宗教を脇役に押しやったところで、宗教に代わる新たなマインドコントロールが出現して人びとを狂わせるだけなのかも知れないけれど。
人というのはマインドコントロールされたがっているのではないか、とも思う。宗教が去っても、何かに依存したい、何か寄りかかる大義や原理やルールのようなものがほしい、みんなといっしょに「ノレる」ものがほしい。そういう集団の欲求というものは変わらないのではないか。それがある限り、人びとへの扇動や洗脳は変わらないのではないか。
それなら、宗教をもうちょっとましなものにしていったほうがいいのではないか、とも思う。逆に宗教がしっかりしないと、政治が宗教めいたものを作り出して、庶民をコントロールし放題になってしまうのではないかとも思う。
そんなこんなで思考が堂堂巡りだ。

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関東学院中学校グレセット礼拝堂に行きました。

2006年3月18日(土)関東学院中学校にお呼ばれしまして、中学校の卒業礼拝のメッセージを担当させていただくことになりました。校長先生が「三十番地」を見てくださっていたそうで、ありがたいやら、うれしいやらです。

関東学院中学の礼拝をいっしょにおこなってみて、まず驚いたのは、讃美歌を歌う声がものすごくステージまでよく聞こえていた。声が立ち上る感じかな。校長先生は「先生方が歌ってますから」とおっしゃっていたが、それもすごいことだと思ってしまうのでした。
そして、生徒たちの聞く態度、傾聴する態度。これがよかった。もちろん若いから、コソコソヒソヒソ話も全然ないわけではなかったけれど、それに、多分ぼくが関西弁まるだしでしゃべったからで、ヒソヒソ面白がる人もいただろう。しかし、全体として、しっかりと顔を上げて聴くということができている関東学院の礼拝に、うらやましさと尊敬を感じてしまいました。
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解放劇

先週の日曜日と昨晩、2週続けての「解放劇」の公演が終わった。先週は草津教会、今週は日本キリスト教団兵庫教区クリスチャン・センターにて。
今回は多少疲れ気味だったので、本サイトで公演の予告や広告をおこなうことをしてなかったけれど、そういうこととは関係なく、まずまずのお客の入り、特に草津教会では会堂いっぱいの人に囲まれての上演だった。
解放劇、というのは、差別の問題を見る人といっしょに考え、いっしょに差別からの解放に向かうための、啓発劇。この運動が日本キリスト教団で始まった12年前当初は、「部落解放劇」と呼ばれていたのだけれど、6年ほど前から、単純に「解放劇」と呼ぶようになった。部落差別の問題だけに限らず、いろいろな差別や不公正の問題を横断する形で物語を描くようになってきたからだ。
差別の問題を描くからと言って、暗く重い描き方ばかりはしない。この6年間、2年に1回、計3本の台本を書いてきたけれども、しだいにユーモア色を強めるようになってきた。差別が重くて暗い問題であるのは当たり前。重い話を重く描いても仕方がない。軽く、明るく、見ている人が元気になるようなものをつくりたいと努力してきたつもり。
さぁ、今年の関西公演が終わって、次は来年の秋、日本キリスト教団総会(東京)での上演に向けて、また準備を始めなければならない。新しい企画は、今からゆっくり考えるとしよう……。20050828lp-rehearsal

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結婚式

ときどきではありますが、結婚式のお仕事のピンチヒッターとして呼ばれることがあります。
結婚式の仕事はきらいではありません。
なんだかんだ言って、今までで100組くらい司式したことになるのだろうと思います。これを専門にしていらっしゃる先生から見れば微々たる数でしょうが。
毎回、緊張します。毎回違うカップルを前にして、新鮮な思いになります。どのカップルも違う個性があります。どのカップルにも違う事情があります。ですから、毎回、新しい気持ちで取り組むことが出来ます。
たとえ同じようなメッセージを語るときでも、少しずつその時の状況で語り方が変わったりします。
式への取り組み姿勢が真剣なカップルには、こちらも真剣になりますし、ふまじめなカップルには、こちらも困惑します。
二人が緊張しているときには、こちらにも緊張が伝わりますし、二人が感動しているときには、こちらにも感動が伝わります。そして、心からがんばって幸せに生きていってほしいと思います。
これはわたしの本業ではなく、あくまでパートタイムですが、この仕事はわりと好きです。
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撮影開始

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1年半ほど停止していたビデオの撮影を再開しました。日本キリスト教団部落解放センター提供の、2作目の解放劇ビデオです。2シーンだけ製作して息切れしたり、他のことで忙しかったりで、ストップしていたのですが、しめきりなしでゆったり作ろうということになりました。
昨日は京都府南部、木津川にある「流れ橋」で撮影を行ないました。日差しもよくベストコンディションでした。神さまの守りとともに、解放センターでの奉仕に全力を注ぎ、志半ばで逝かれた角樋平一さんの眼差しも感じた、祝福された一日でした。

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マジョリティ向けキリスト教講座

学校で、授業の合間に移動中、ふと廊下である生徒に話しかけられた。
「先生、ぼく洗礼受けてるんですよ」
この学校ではクリスチャンは圧倒的に少数派なので、クリスチャンと出会う、しかも本人から申し出があるということ自体に、少なからず驚きを覚えるのである。
考えてみると、クリスチャンと出会うことがないような前提で授業をしている自分に気づく。
今日は「イエスが処女から生まれた話ですね。あれ神話です、神話。伝説ですね。偉大な賢者と言われた人は、みなこうやって不思議な生まれ方をしたかのように、お話が神秘的に作られていくんですな。他にも例があります」なーんてペラペラしゃべっていた。
こういう授業は、ノンクリスチャンにはわかってもらえる。
しかし、こういう授業で、今まで信じていたものがガラガラとくずれてゆくクリスチャンの子どももいるのかも知れない。
やれやれ、むずかしいね。
しかし、ぼくの学校はまだいい。ぼくの友人には、「イエスが……」と言っただけで「イエス『様』と呼んで下さいっ!」と迫ってくる生徒もいると言う。こういう信仰をもっている人は、絶対の信念だから、他の人が自分のことをどう思おうが気にしないで、どんどん「『様』と呼びなさい!」と迫ってくるんだろうなぁ。
英語ではどう呼んだって「ジーザス」とか「ヒー(彼)」になっちゃうんだけど。

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完全原稿

大阪K教会のT牧師の話。
つい2-3ヶ月前に、説教の最中に講壇の上の原稿が半分見えなくなって、ろれつが回らなくなって、何言ってるのか自分でもわけわかんなくなって、信徒に講壇からひきずりおろされて、それで救急車で運ばれて、「虚血性脳塞栓」だと。めちゃくちゃ幸運なことに、30分ほどでつまっていたのが溶けて血流が戻り、一命をとりとめたそうだ。
今はピンピンしてるんだけど、話を聞いてると恐ろしくなって、「やっぱり歳をとると、いつどこでどんな風に死ぬもんかわかったもんじゃないな」と思った。
と同時に、「やはり教会の礼拝説教は完全原稿でないといかんな」と思った。
T牧師が倒れて、救急車で運ばれた後、代わりの教会員が講壇に立ち、T牧師が用意した説教の原稿を読んでくれたそうだ。それで説教は成り立ち、礼拝はなされたのだという。
やっぱり説教は完全原稿でないといけない。
自分は「あとでウェブサイトで発表するから」と思って、そういう動機で完全原稿を書いているようなところもあったけれど、「そうか、歳をとるほど完全原稿と言うのは大事なんだなぁー」と思った。
自分が突然いなくなっても説教が機能するために。

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